こちらの墓地を訪れて最初に感じるのは二つとして同じ墓石はないと言うことである。よく映画や絵葉書などで目にするワシントン郊外にあるアーリントン墓地等は同じ十字架が整然としかも際限なく並んでいて美観としては最高であり、また墓地というか公園のような感じである。しかしその他一般の墓地と言うと、小奇麗に手入れはされているがやはり墓地であり、景観は遥かに劣るも厳粛な場所であることには変わりない。最近でこそ日本の墓石や墓碑銘も個人の希望や家族の願いが込められて段々独創的になってきたとは言え、一般的な墓石はみんな同じような形。アメリカは一つ一つがサイズや色や形状や墓石上に述べる口上まで全て異なる。流石に個人主義が極度に発達した国だなあ、と感心することしきりである。
日本での一般的なお墓は家ごとの単位なので、そのお墓には曽祖父とか祖父母とか代々のご先祖様をお祀りしているので、そのお墓にお参りすることで先祖供養が出来る。しかしアメリカの場合は個人単位で埋葬されているため、祖父のお墓はマサチューセッツ州で、祖母のお墓はペンシルバニア州、父親のお墓はカルフォルニア州というようにかなり離れた場所にお墓があるのが、結構一般的である。なので、英語で"お墓参りにいきました"と言うときは、必ず"誰のお墓で、どこにある"という事を説明するのである。アメリカ人にとっては、お墓参りは一度に一人のお墓しか行くことが出来ないので、日本のお墓(火葬による埋葬)はとても合理的だと思う人もいるが、今尚殆ど土葬が行われているのは、一つにキリスト教では基本的に土葬であることと言う慣習と、埋葬の為の土地はふんだんにあるので土葬しても場所的に全然問題がないのである。
建国時代のアメリカの移民は一箇所に定住することなく常に移動していた。だから旅の途中で死んだらそこに埋めて旅を続ける歴史があるから、墓も個人でしかないという歴史的な背景もある。西部劇などでカウボーイが亡くなるとその場に埋葬し木切れで十字架を建て誰かが聖書の一片を読み冥福を祈りて後また旅を続けていくシーンによく出くわす。一方日本では、墓を守るとか継ぐとかいう事がよく語られる。私が思うに、それは現在の日本の墓が個人用じゃなくて、一つ墓に何人もの人が共有というか、ともに入るからじゃないかと思う。
私の女房はスコットランド系白人である。彼女の両親は勿論もうこの世にはいないが、彼らはルイジアナ州の別の墓地に埋葬されている。そこへ、女房や将来的に私の遺体が埋められる、などということは考えられないのである。既に女房はこの牧場から10分足らずの墓地に眠っていて、私はその隣に100%埋葬されることになっている。こちらでは家と言う概念が希薄だからみんなそうである。親も子も他人の墓には侵入しませんよ、という事である。日本では火葬で、しかも一つの墓に何人もが、一部の骨だけでも埋葬されるからネット上での議論の花が咲くのである。もし何時の日か日本でも家と言う概念が崩れ、墓の主流が個人墓になったら、今のような議論は無くなると思うのである。
アメリカは建国の歴史が浅く、多民族国家なので祖先のルーツをあまり重んじないのかも知れない。(但し由緒ある家庭は家系図なるものをとても気にし大事にしているのも事実。)日本は家系を重んじる人が多い。そして直系と言う伝統がある。父⇒祖父⇒曾祖父と遡り、200年以上前の祖先の名前も、寺で知る事が出来る。だから一般的な日本人は死んだら骨壷は祖先の墓に安置してもらう。そして、普通は家督を継ぐであろう長男に墓を守ってもらう。これが日本の墓の自然な在り方なのであろう。アメリカにはそんな風習は一切ない。
ちなみにこちらの墓は個人墓なのでよほどの有名人でもない限りしばらく経つと忘れられて訪れる人もいなくなる。確かにひいおばあちゃんの墓なんて誰も分からなくなる。だから、場所によってはもう訪れる人がいなくなった墓の墓石を撤去してそこに新しい人を埋めることもしばしばあるとか。いや、実にアメリカらしい合理的判断ではある。 アメリカでは、訪れる人が居る居ないは全く関係ない。墓地の管理は個人はやらないし、日本と違って、未使用の土地がたくさんある。
とはいえ日本人の墓に対する概念も変わりつつある。最近の日本の都市部では、ヴァーチャル墓があると、テレビで見たことがさる。個人の写真、声、文字にしたメッセージ、音楽、その他盛り沢山のことが、スクリーンにあらわれる。しかしいわゆる墓石は無いので、掃除とかはなく身体が不自由なお年寄りに好まれている。値段も実際のお墓よりずっと格安だと解説していた。古いしきたりの日本の田舎しか知らない私なのでとても興味深いと感じた。また絶家になるケースが多いので、最初から個人あるいは夫婦墓にして永代供養を前もって依頼。そういう場合は、墓の相続も、墓を守るも、誰が入ってもよいとか悪いとかも無いわけで、時代の移り変わりを感じた。
日本の仏教には供養と言う考えがあり、かって老母からその儀式に関して聞いたことがある。亡くなった日から、7日目を初7日、7週目を49日、100日目を100か日、初めて迎える盆を新盆、1年目を1周忌、2年目を3回忌として、以下6年目7回忌、12年目13回忌、16年目17回忌と続き、23⇒27⇒33回忌で永代供養する家もあれば、37回忌を供養して50回忌まで供養する家もある。お寺からの案内はご先祖様の100回忌まで届くそうである。(まあこれぞ坊主丸儲けと言われるゆえんでもある。)
この事からも、日本のお墓は子孫が守るようになっている。ここのところがが日本とアメリカの違いである。しかし個人埋葬による墓石では、このような、子孫による供養は難しいし宗教の違いも大きく影響すると思う。これまた聞いた話でびっくりしてあごがはずれそうになったのだが。ある家族の先祖代々之墓は東京の芝にあり、その隣に親戚が新たな墓地を確保するのに500万円を要した。更に、戒名代500万円、墓石代100万円の計1,100万円の費用が必要だったと言う。東京で土地が高いとは言え、この金額は異常であり、日本では死ぬことはコストがかかるのかなあ、とつくずく思う。ちなみにこちらでは葬式を済ませたら後はなにもなし、それ以後のコストもゼロ。まさに合理的なアメリカらしいと変に感心する。