アリゾナ州のメキシコとの国境近くにツーソンという街がある。近代的な町並みから一歩郊外へ踏み出すと、そこにはサボテンの林立する砂漠、いや荒野と言った方がピッタリくるかも知れない西部劇そのままの風景が広がっている。空気が乾燥しているのと内陸砂漠の地形的な関係から、ここでの夕陽は、全米で一番美しいと言われている。その夕陽が山陰に沈む。真っ赤に焼けた空の下に、てっぺんが尖った山々と家よりも高く林立したサボテンが描き出すシルエットの美しさは息を呑まずにはおられない。生きていてつくずく良かったと思う。
ラスベガスから再びコロラドに帰ったのだが、みんなの反対を押し切って結婚した訳だからそこはもう私達にとって居心地のいい場所ではなくなっていた。従って、お互いのスーツケースだけが財産の身軽さゆえもあり、私達は新天地であるアリゾナ州はツーソンから約50km位南にある観光牧場に仕事を見つけ移って行った。
もう30分も走ればメキシコとの国境である。そこは避寒地で10月から3月までがシーズンだったので女房が12月陸軍諜報部に入隊するまでの二ヶ月間、新婚生活を始めた思い出多き所であった。牧場のあったタマカコリという村は人口50人ほどだったからアパートなどなくキャンピングカーをチョッと大きめにしたトレーラーが私達の最初のスイートホームであった。
牧場のオーナーは60歳くらいのサンディエゴの現役の心臓外科医、何故か彼は私を気に入って何でも任してくれた。一ヶ月に数日病院へ行って手術をし、また牧場に帰ってきて私と共にゲストを連れ、馬で一日がかりの遠乗りをするのが大好きだった。こんなことでよく病院が勤まるなと思ったが、聞けばかなり有名な外科医で今まで結構難しい手術を成功させてきた実績があったようである。それだから特別扱いも可能だったのだろう。
前の奥さんとは離婚、自分より30歳以上も若い綺麗な看護婦と再婚しラブラブの牧場暮らし、そして夏場になるとサンディエゴの本宅に帰る優雅な生活であった。男は金と力いや能力があれば何処へ行こうと好き勝手にできるもんだなあと感心することしきり。(心臓外科医が心臓麻痺で死んでしまった、全く悪い冗談ね。と後年奥さんから聞いたが、実際の所は腹OOというやつではなかったろうか?歳が離れすぎだよね。)
お化けのようにバカデッカイサボテンが果てしなく林立する荒野を馬で駆けていると、まさに西部劇のシーンそのものに思えてくる。でも馬から降りたらここもまた気が抜けない。ガラガラ蛇とサソリのオンパレードである。どちらも猛毒を持っていて噛み付かれたり刺されたら命が危ない。だから私達はカウボーイブーツ、そしてチャップと言う皮製の長ズボンのようなものをジーンズの上からはき完全武装して出かけるのである。
サソリは大きな石や岩陰に潜む。たまたまコーヒーを飲む為に座ろうとした石を少しどけたら大きなサソリが怒って伊勢海老の如く爪を立てていたのでヒヤッとした。ガラガラ蛇はその名の如く音を立てるので分りやすいが素早く走るので怖いし気持ちが悪い。馬に飛び乗るか、ピストルを持っていれば撃ち殺す。以前、旅行者がアリゾナの高速道路をドライブ中、我慢が出来なくなって道端でウOOをしていたらガラガラ蛇に尻を噛まれたらしい。ところが腕や足と違って毒が廻るのを防ぐ為に何かで縛ろうにも場所が場所だけに、手遅れで死んでしまったという冗談のような本当の話もある。
二ヶ月間は夢のようであった。“狭いながらも楽しい我が家”ゼロからのスタート故に家具も最低限のものしかなかった。しかし人間、心さえ幸せ感や満足感で満たされていれば物質的な贅沢が無くとも楽しく生きていける事をこの時学んだ。地獄まで見たとは言わないが一度底辺の生活を体験した人間は、いざとなればどんな環境下になろうともしたたかに生きられる、何故かと言えば最悪また底まで落ちればいいのである。底辺での生活は既に経験済みであるから、怖くもなんともないし何よりも鼓舞されるのはそこにも未来への夢や希望があることを知っているからである。
11月末に女房は入隊訓練の為にカロライナ州へ向かった。新婚生活僅か二ヶ月で離れ離れになって暮らさねばならない、辛さ、寂しさ、やるせなさは経験した者でないと解らないだろうから多くは語らない。三ヶ月の訓練後彼女の赴任地が決まるから、そうしたら自分も引っ越して一緒に住むようになるだろう。カウボーイ生活とも暫くお別れかも知れない。でもこの世界にはいつかまた帰ってくればいい、今は国家に奉仕しようとする彼女の仕事を優先しなければならないだろう。
訓練中でもクリスマス休暇があるのはいかにもアメリカらしい。僅か三日間だったが彼女は帰って来た。空港で待っているとミリタリールックの女性が歩いてくる。遠くからであったが、彼女と識別出来た。制服姿はあまりにも凛々しく格好良過ぎる。若干痩せたかなと思ったけど、元気そうで安心した。しかし、彼女の軍服姿を見たのはそれが最初で最後であった。短期間であったが至福の時を過ごした彼女はまた訓練に戻っていった。
しかし一ヵ月後、陸軍病院の彼女から電話があり、厳寒の中での戸外訓練で一週間前気管支炎から肺炎を併発し入院しているとの知らせが入った。肺が弱かったのは以前から聞いてはいたがやはり無理が祟ったのかもしれない。何故直ぐ知らせなかったのかと叱責したが、知らせば私が飛んでくるのが分っていたから敢えて黙っていた、と彼女は言い通した。そして私には十分な飛行機代が無いことも彼女は知っていたのである。その夜、私は一睡も出来なかった。しかし結論を急ぎ翌朝彼女に電話をを入れた。これから先どうなるだろうと言うことは考えなかった。 「 もうこれ以上頑張らなくてもいいから帰っておいで!」暫くの沈黙があったがやがて電話口の向こうですすり泣きが聞こえて来た。
名誉除隊の手続きに時間がかかり、それから三週間後に彼女は帰って来た。以前よりは明らかに痩せ細った身体が痛々しかった。大粒な涙をこぼしながら彼女は私にゴメンナサイを繰り返している、私はそんな彼女がたまらなくいとおしくなり、もう二度と離れて暮らすようなことはさせない、と心に誓った。
その日から私達の小さな愛の巣はインスタントの療養所となった。仕事の時意外はズッと彼女に付き添い、看護介護を続けた。幸い一時的にも軍に属したので治療費は一切面倒を見てもらったから大助かりだった。毎日仕事が終わり帰っていくと丁度夕陽が落ちる頃であった。二人ともアリゾナの夕陽をとても気に入っていたので、日没時のひと時は何をすることなく唯々大自然が演出する地上最大のショーに酔いしれた。彼女は荘厳な夕陽から毎日元気をもらい、日に日に回復して行ったのである。。。。。。ALWAYS三丁目の夕陽ならずアリゾナの夕陽は、私達の名も無く貧しく美しい時代に生きる望みと勇気を与えてくれた。