苦悩する超大国アメリカにも古き良き時代があった。そのイメージを最もよく代表しているのがカウボーイであり、国家の象徴そのものと言っても過言であるまい。オリンピック会場に入場してくるアメリカ選手団はつい近年まで殆どの大会がウエスタンスタイルであったことも、それが証であろう。
果てしない荒野を砂塵を上げながら前進する牛の大群、人馬一体となって牛を追ったり投げ縄を使って牛を捕まえ焼き印をするカウボーイ、野営の為にキャンプファイアを囲んで食事をギターとともに過ごす楽しいひと時、インディアンや牛泥棒との撃ち合い、牛を売った金での乱痴気騒ぎ。。。。これらが一般的に抱かれているカウボーイのイメージであろう。しかしながら実際は非常に危険で寝食もろくにとれない苦しい長旅の生活であり、一般的に浸透しているハリウッドで醸成されたロマンティックなイメージとは程遠いものであった。では何故アメリカ人は時代を超えてカウボーイを愛し、自分達の象徴的人物にするのであろうか。
牛は何処から来たのか?もとはと言えば、17世紀中頃スペイン領のメキシコからテキサスに持ち込まれたようである。だから最初はテキサスロングホーンという恐ろしく長い角を持った牛が殆どであった。1849年にカリフォルニアのサクラメント近くで金が発見されたことで始まったのが所謂ゴールドラッシュで、この噂を聞いて世界中から一攫千金を夢見て多くの人達がカリフォルニアを目指してやってきた。人口は急増し食料の値段は急騰、従って地元の牧場主達が所有する牛だけでは足りず、既に牛の一代産地となったテキサスから牛の大群を移動することを思い立ち、実行されたのである。
しかし狂乱じみたゴールドラッシュが過ぎると、それまでの地元産の牛に加えテキサスからの牛で供給過剰となり牛の値段も一気に下落、牧場主達の目は広大な東部市場に向く様になった。その頃同時に東部からの鉄道がカンザス、ネブラスカ、ワイオミングの各州まで延長された。よって牛肉の一大消費地である東部の市場へ送る為に鉄道の積み出し駅までテキサスから北へ向かって牛の大群を追う旅(ロングドライブ)が始まったのである。
テキサスから牛の大群を北へ連れて行く為に何本かの有名なトレイルが拓かれたが最初のうちは問題がなかったものの、そのうちインディアンが牛を盗んだり、通行税を取り始めたり、あるいは牛の運んでくる病気の為に行き先々の牧畜業者が牛のドライブを阻止したりで路線変更を余儀なくされた。
やがて南北戦争で北と南が分断されたのでテキサスの牧場主達は北部あるいは東部の市場を一気に失った。しかし彼らは南軍に食料として牛肉を提供することを思いつき南部連合政府はそれを高く買ってくれたので戦争中であったが命懸けで牛追っていった。しかし戦争が終りまた様相が変わってきた。この南北戦争によって北部の殆どの牛が消費されてしまった為、再びテキサスからカンザスやミズーリといった戦争前に開発された北の市場へ向かって牛の大群の移動が始まったのである。もちろんそこから鉄道輸送で東部への牛の供給も同時に再開されたことは言うまでもない。
カウボーイを代表する映画の一つに <ローハイド>がある。カウボーイ達が牛の大群を引き連れて旅をして行く様をドラマ風に仕立てたものだが、ここでロングドライブについて少し触れたい。牧牛業者は毎年始めテキサスの各牧場を廻り牛や馬を買い付ける。牛3000頭で馬30頭くらいの割合で編成を組み10人前後のカウボーイ達を雇い入れ出発である。長旅なので余分な馬を交代要員として連れて行く。安く買い入れた牛の群れを追い草を食べさせながら移動させ、3-4ヶ月かけて目的地に着く頃には牛はかなり体重を増やしているので北の市場で高く売れるという設定である。
この牛の大群に先行してチャックワゴンという移動用台所付きの幌馬車と荷物を背負ったロバや馬の一団が進む。大群が届く頃には食事が出来ていると言う算段である。牛のロングドライブに従事するカウボーイにとって最大の楽しみは食事であった。彼らをよく働かせ士気を高めるのも食事であったから牧牛者は腕の良いコックを雇うことが重要であった。カウボーイは肉を好み、3度の食事に肉が出たが飽きなかったと言われる。冷蔵庫などなかったから出来るだけ肉を長持ちさせる為、日暮れ近くに屠殺し高原の冷たい夜風の中に吊るす。次の朝は防水シートなどで包みワゴンの底に入れ夜になるとまた夜風に吊るすと言う方法で肉を長持ちさせた。
牛の大群をあちらこちら草のある所で寄って食べさせて行くので一日に進む距離は群れのサイズにもよるが大体20から25キロくらいだった。そんな調子で2000キロも2500キロも旅するのであるからさぞかしキツかっただろう。夜は牛が寝やすいような平地を見つけそこへ誘導して一日が終る。勿論交代で監視役は夜通し置く。そしてカウボーイ達は服も脱がずにそのまま毛布にくるまって地面に横になって寝るのが普通である。晴天の日はともかく雨の日などはワゴンの覆いの下や木陰で夜を過ごすのだが、とても辛く映画などに見るようなロマンティックなモノには程遠かったのである。
長く困難なドライブも鉄道の牛の積み出し駅に着くことで終る。このような終点の町はキャトルタウン(牛の町)と呼ばれ、無法なワイルドウエスト時代の西部の町としてしばしば西部劇にでてくるのである。町の通りは銀貨をポケット一杯に詰め込んだカウボーイや牧場主、家畜商で溢れていた。当然のことながら彼らをよきカモにしようと賭博師、売春婦、詐欺師などが遠くからやって来た。また賞金稼ぎ、腕利きの保安官などが徘徊し、多くの町が口論、喧嘩、殺人が絶えなかったと言われる。だが牛の売買は季節的なものであったのでみんな短期間に荒稼ぎをしようとして、金だけでなく命まで落とすものもいた。
このようなキャトルタウンはカウボーイや牧場主にとっては砂漠にオアシスのようなものであった。泥まみれとなり、睡眠もろくろく取れず、単調な生活を数ヶ月も過ごして無事に牛の大群を目的地に届けたらそこで彼らの仕事は終り。報酬を現金で受け取ると、まず床屋の奥の部屋にある湯船に浸かり身体を洗い旅の垢を落とした後、髭を剃ったり髪を切ってもらった。それから汚れた服から、新しく買った服に着替えてサロンに出かけ酒を飲んだり、博打をしたり、女性を求めたりしたのである。
牛の大群を引き連れたロングドライブが存続した期間は短いものであった。そしてその廃止は初期のロングドライブの為に必要とされたカウボーイの時代の終わりでもあった。それにはいくつもの理由があるが最大のものはテキサスまで鉄道が延びてきたことであろう。その建設ブームはテキサスとニューオーリンズ、セントルイス、デンバーまで繋げるような路線を開通させた。従って鉄道を利用して牛の産地直送が出来るようになったので、長い時間と経費のかかるロングドライブは必要なくなったのである。19世紀の後半僅か20年くらいでロングドライブの役割は終った。すなわちこの短かな期間が本物のカウボーイの時代で、それ以後は質の異なったカウボーイが出現する時代となった。
その他の理由としては北部での牛の放牧が成功したこと、つまり牛が北部の平原で厳しい冬を過ごすことが出来ることを知り放牧は瞬く間に普及して行った。また有刺鉄線の発明も大きかった。自作農民が農作物を牛から守るためには柵が必要であったからこの有刺鉄線がその役割を果たした。また柵で囲むことによって放牧の方法に一大転機をもたらすことにもなった。西部開拓に大きな貢献をしたのはこの有刺鉄線とコルトの拳銃と言われる。このような理由がロングドライブや公有地の放牧でのラウンドアップで活躍したカウボーイの時代を終らせる結果にもなったのである。
オリジナルの役割とは異なりカウボーイのイメージは時代とともに変わっていった。馬や投げ縄を使っての曲芸を見せるウエスタンショウやカウボーイが暴れ馬や牛に乗って技術を競い合うロデオの開始、西部に関する小説や映画の西部劇の隆盛でその娯楽性が重要視されたこともあってカウボーイはドンドン美化されていったのである。彼らによって西部のカウボーイ達は東部の都会育ちのものに比べればあまり教育は受けていないが周囲の状況把握に長け優れた判断力で行動する命知らずの男というイメージが創作されていった。
代表的な西部劇である < シェーン > に見られるカウボーイがまさにそれである。主人公は何処からともなく町にやってきてその社会を脅かしている悪玉達と闘う。それも一対複数でありその戦いに勝利する。観世懲悪の世界である。彼に好意をよせる女性がいて彼も愛情を抱くが、また一人馬に乗って何処へ行くともなく去って行く。西部の男は女性にとらわれることなく社会の一員であるよりも広く自由な天地で生きることを選ぶ。
西部の男の生き方を誇張して描いたものであるが、かって日本のヤクザ映画が一世を風靡した時代もこれに似た様なストーリーで溢れ、みんな結末は想像出来てもあの高倉健や鶴田浩二の最終シーンに多くの観客が痺れたのである。彼らは富も栄誉も愛する女性達をも捨てて、心の自由を求めて再び人生の旅を続けていく。虚構の世界とは言え古今東西ヒーローというのは凡人が想像する域を脱するところに、いや凡人では中々選択しないだろう道を選んでいくことに、限りなきロマンを漂わさせるのであろう。
南北戦争はアメリカがかって経験したことのない痛手と試練を残した。その荒廃した国が活気を取り戻すには今までにない娯楽性が要求された。カウボーイを美化し色々な場面で登場させることにより、西部のフロンティアとしての幻想を国民に与える必要があったのである。大自然とともに生き広大な土地で一攫千金の夢を持ち続ける事が出来る最もアメリカ的であるカウボーイ、大衆の欲求を満たす為にもカウボーイを美化し、誇張し、ロマンティック化して国民のヒーローに仕立てたのである。人々はフロンティアを境とする未開の西部と都市文明の発達した東部と同じ国でありながらはっきりとそれを対比するようになった。そしてとりわけ東部の人達は西部と言う自由の天地、そしてそこを舞台として活躍するカウボーイに憧れを抱くようになったのである。
大袈裟かも知れないがアメリカの基本はカウボーイにある。その生き様やルーツを知ることによってアメリカと言う国がおぼろげながら解って来る。それは殆どのアメリカ人がカウボーイに対しては心の何処かにある種のノスタルジアがあるからである。開拓者精神や独立心と言う言葉を多くのアメリカ人が好んで使う。カウボーイがその象徴の一つになっていることは間違いないだろう。
最後に解りやすい政治の場面でのカウボーイの効用を知るのも面白い。この大衆文化のアイコンとしてのカウボーイが政治と如何に深くかかわり大統領の人格や政策を国民に伝える為に利用されてきたか。
カウボーイ大統領と言えば、“ 敵か味方か、白か黒か ”と迫って戦争に走りカウボーイ外交と嘲笑されたテキサス出身のブッシュ大統領が思い浮かぶ。20世紀初頭のセオドアルーズベルトもそれをうまく利用した。タフで公平、一匹狼でありながら近ずきやすい存在、そんなイメージこそ国民が大統領に求める姿であり有権者に強力にアピールした。アイゼンハワーやクリントンさえもカウボーイを利用した。このカウボーイのイメージはアメリカの政治風景のなかにモザイクの様に埋め込まれているのである。
このカウボーイを利用するという手法で最も成功したのはレーガンであろう。カリフォルニアに購入した牧場を西のホワイトハウスと呼び外交初めあらゆる場面でカウボーイのイメージを徹底的に利用した。結果彼は近年最も偉大な大統領として賞賛されたのである。ブッシュのカウボーイ外交はあまりに単純で子供じみていると不評を買ったが、昨年の大統領選ではマケインもオバマもカウボーイを巧に利用した。アイオワで支持者が差し出すカウボーイハットにサインするマケイン、テキサスでボランティアが渡したカウボーイハットをかぶるオバマ、マスコミにこのような写真をドンドン載せることで有権者に我こそがアメリカのアイコンになるとアピールした。極端に言ったら、<カウボーイ>の力はどんな候補者も抗えない。言葉をつくして説明するより多くのことを一瞬で伝えてしまう、たかがイメージと侮ったら大変なことになるのである。
今日のカウボーイは昔日のそれと比べるべくもない程、洗練されていて現代的である。多くの分野を機械化し、科学的手法を取り入れ、コンピューターをも駆使してより効率的な放牧や牧畜に従事している。しかし時代は移り変わろうと変わらぬカウボーイ精神と言うものは引き継がれてきている。それは、侍の時代は遠い昔のものとなったが、今尚武士道的な考え方が連綿として日本人の心の中に生き続けているようなものなんだろう。