ハリーポッターを見終えてから彼女はホスピス専用のベッドに引き続き横になった。皆が夫々の部屋に散っていった後、私と息子は「ママが寂しくないように、今晩は久し振りに3人で一緒の部屋に寝よう!」と言って私と彼はいつも私が女房と共にしてきたベッドで寝ることにした。女房はそのアイデアをとても喜んでくれた。しかしそれはある意味虫の知らせであったのかなあと今は思えて仕方がない。でも結果的には最後にもう一度彼女を喜ばすことが出来、私達はとてもそのことが嬉しかった。家族は永遠に一緒である、ということの証であるような気がしたのは女房とて息子とて全く同じ思いがしたのではないだろうか?!
牧場に帰ってきて4日目の朝を迎えたが、彼女は目覚めなかった。看護婦やホームヘルパーの過去の経験によると、彼女の死期が確実に近くなってきていると言った。私は彼女の手を握り大声で彼女の名前を呼んだ。そうしたら彼女は弱々しかったが私の手をかすかに握り返してきた。人間は臨終間近になるとモノは言えないが聞くことは出来ると彼らは言い、急遽みんなを呼んで最後の別れを告げるべきだと示唆された。私は再びこの街で女房と特に親しかった友達を呼んだので、みんな駆けつけてくれ、そしてひとりひとりが跪き彼女の手を握りながら、今までの御礼と別れの挨拶をしたらしい。らしいと言うのは私は既にその場にはいなかったのである。
女房がこの世で愛した人達は沢山居る。しかし残念ながら彼女が最も愛したうちの二人はそこには居なかった。彼らは遠く日本にいて彼女の安否を気ずかっていたのである。一人は彼女の姑である私の母、もう一人は娘のいない私達にとっては実の娘のように接している子が日本にいた。女房は自分が旅立つまで決してこのことをお母さんに告げるな、そう私に厳命してきたから一瞬老母からの最後の一言を聞かせようと躊躇したが、連絡はしなかった。しかし愛娘には国際電話をし、「もうすぐママは旅立っていく。話は出来ないが君の声は聞こえる。だから電話の向こうからママに今までのお礼とこれからもママの意思をついで強く生きていくから心配しないで!」 そんなようなことを言ったらと受話器を女房の耳にあててやった。娘は涙声ながら一生懸命彼女に話しかけ、そしてその声はきっと彼女に届いたということを信じて疑わなかった。
最後の友達が来て別れを言った。私はまた部屋の外に出ていたがもう一つ大事なことを済ませねばならなかった。それは彼女が愛したシェパード犬との別れである。彼を部屋に連れて行った。利口な彼は何が起こっているのか理解したようである。彼はベッドの上に身を寄せ彼女の顔に近ずくと思いっきり彼女の顔をひと舐めした。彼女はかすかに顔を動かしたからそれがきっと愛犬からのキスであることが分かった筈である。その儀式を終えた私は再び彼女の部屋を後にした。もう彼女の旅立ちに関して『最後を看取る』ようなことは一切しないつもりでいたのである。私にとってはこれは彼女との別れではなかった。彼女も「私、チョッと先に行くわよ!」 「そうだな、気をつけて。じゃあまた後で!」 そんな会話が二人の間で交わされたような幻覚に陥ったからである。
2010年11月15日午後4時15分。彼女が旅立っていったことを看護婦から告げられた。何ら苦しむことなく、彼女らしい鮮やかで爽やかな逝き方であった。念願の牧場に帰ってきてからわずか4日、彼女は私達を煩わしたり私達に迷惑や心配など一切かけることなく彼岸に逝ってしまったが、誠にもって羨ましい人生の引き際であった。人皆誰も人生の終焉はかくありたいと願うのだが、彼女はそれを実践した数少ない人のような気がした。「天晴れなリ我が恋女房殿」私は心の中でそう彼女を讃えてやった。
私は全ての人達に部屋から出て行って欲しいとお願いした。息子を呼び入れ暫し親子3人で時を過ごしたかったのである。私は彼にママの為に思いっきり泣こう、そしてありがとうを言おう、これからはママの分まで強く生きていくから心配しないでと約束しよう。そんなこと言いながら私達は彼女の旅立ちを二人で見送ってやった。そして再び 「ママこれはお別れではないよ、またそのうちに会えるから向こうで待っていてね。」 そんなことを言いながらこの世で最後の接吻をしてやった。彼女の身体は温かくまるでいつものように私からの接吻をとても楽しんでいるようだった。
息子も実に健気に振舞ってくれた。子供だ子供だと思っていたが、この悲しさ辛さを懸命に乗り越えようとしている彼をみて少々頼もしい気がした。彼は案外私より立ち直りは早いかも知れないな、そんなことを思ったりもした。一人息子とは言えいずれは親離れ子離れをして行かなければならない。彼はこの時点からはっきりとその必要性を悟ったのかも知れない。考えようによっては女房に先立たれたり夫に先立たれたりして残された連れ合いの方が遥かに立ち直りに時間を要すると言うことを一般的に言われている。実際そうなんだろう。普通親と一緒に住むのは大体18年、また子供と一緒に住めるのも18年。しかし夫婦となると一緒に過ごす時間は20年、30年、いや50年、中には私の両親のように65年も風雪に耐えたカップルもいるのである。だから夫婦の関係と言うか絆と言うものは大変重いものがあるのである。
私達二人は暫くして寝室から出て行った。これから葬儀はいつどのようにするのか、誰と誰に連絡をしなければならないのか、墓地はどうするのか等々のことをみんなに相談し助けを得なければならなかったのである。こちらでは家で通夜をするような習慣はない。だから葬儀屋に頼んだら、彼らは今日の夜中に遺体を引き取りにきて教会の隣の遺体安置所に移します、とのことだった。牧師が来たり、遺影の選定などで瞬く間に時は過ぎて行ったが、私と息子はその間でもどうして彼女を送り出すことが彼女が一番喜ぶだろうか、棺の中に何を入れて彼女と共に旅立たせてやれば有り難がるかなどを話し合った。納棺するものの選別は明日でも良かった。しかし彼女がこの牧場を後にする時に何をしてやればよいのか?!
二人が辿り着いた結論は季節外れではあるが急遽クリスマスツリーを飾って彼女に見せてやろうということになった。何故なら彼女の誕生日はクリスマスの日、12月25日なのである。時計の針は夜の9時を差していた。後3時間しかない。私と息子は早速人工のクリスマスツリーを倉庫から持ち出し飾り始めた。最後のエンジェルを天辺に飾り電気のスイッチを入れた時には既に11時を廻っていた。彼女はこのエンジェルがお気に入りで毎年クリスマスツリーを飾ると、いつも「あれは私よ」と言って得意そうな笑顔を私達に見せていたことがつい昨日のように思われる。そんな彼女だったがつい数時間前に今度は彼女が本当のエンジェルになってしまった。
私達は引き続き部屋中もクリスマスのデコレーションで飾った。それは毎年恒例のことであったので、手際よく出来たのだが、今回は特別な思いがしたのである。
午前零時に車がやってきて彼女の遺体は担架に乗せられた。その時私と息子は彼女の傍に張り付きながら「ママ、あれがお気に入りのクリスマスツリーだよ。ママの為に一生懸命飾ったんだよ、しっかり見て行ってね。」 私達は運搬をしている人達に何度も立ち止まってもらい彼女に心行くまでクリスマスツリーを楽しんでもらった。「ママ、メリークリスマス!そしてハッピーバースデー!!」
彼女の遺体を乗せた車が見えなくなるまで私達は見送った。そこにはまさに私達の天使が乗っているような錯覚に襲われたのである。「彼女は今天に召されたんだ、これでいい、これでいいんだよ!これはさようならなんかじゃないんだ!これからはいつも空を見上げれば天使となった彼女がいる。だから寂しくなんか無いさ!」 私はそんな言葉を一生懸命自分に言い聞かせた。
そして彼女にこう言ってやった。
『いままで長い間一緒に歩いてきてくれてありがとう。でも君は急に彼方に逝ってしまったから僕はとうとう一人ぼっちになってしまった。しかし、君を喜ばせる為にもう少しこちらで頑張るよ、君の愛する息子も娘も愛犬もいるしね。だから、どうか僕がそちらへ逝くまで待っていて欲しい。そして僕が追いついたら、また一緒に歩き始めようね!』