小さな旅から学んだこと

久し振りにロッキーの山々の澄み切った空気に触れた。大平原の真っ只中のテキサスでは味わうことの出来ない贅沢である。つくずく人間の欲望と言うものは尽きないものだと思う。コロラドに住んでいる時は海の見える所に住みたいと思った。ニューヨークやフロリダでは海辺に住んだからその願いは達せられたが今度はもう山も海も結構、何もない草原に住みたいと思った。切りがないとはこのことである。人間には無いものねだりをする悪い癖がある。今回の旅でそういう概念を一切払拭することを決意した。特に住居に関しては、今住む所を青山と決めたのであるから。

表向きは脳の断食に行くと言って、今までも大体3年に一度位ずつ下界や俗界?から自分達を隔離させてきたのがいつの間にか我が家の伝統的行事となった。この間は外からの情報や便宜さを一切遮断し、出来るだけ家族だけで自然や土に触れるようにすることを心掛けた。そうすることで家族の絆が一層強まり、また自然の偉大さを会得するのにも絶好の機会であった。

このアイディアは女房と二人で観光牧場で働いていた時に閃いたものである。牧場のゲストは殆どが家族連れで1週間2週間単位で滞在していく。日本的な物見遊山型と異なり完全に一箇所滞在型である。その間は外の世界との連絡を一切断ち切り(勿論会社との連絡やテレビ、電話、パソコン、新聞一切なし)、家族全員で朝から晩まで大自然の中で楽しんでいくのである。食事も至ってシンプルで美食には程遠い。私はこの休暇の過ごし方は素晴らしいコンセプトだと思い、後年それに似た様なことを3年毎位に実践してきた。でもこれ以外にも別の目論見もあった。

私達の日常生活は、世間一般と大同小異、華美に走り贅沢や利便性にすっかり毒されている。私は昭和20年それも終戦前に生まれている。だから何も無い、求めても得られない時代に生まれ育ったから今の生活が時に恐ろしくもなり、昔風に表現すればそのうち調子に乗り過ぎてバチが当たるんじゃないかと考えたりもする。あの謙虚で慎ましやかな生活は何処へ行ってしまったのだろうか?

世が大量消費社会になって久しいがそれにしても長い人類の歴史から見ると、つい最近のことである。私達は余りにも短期間に贅沢になり過ぎたような気がする。(とはいえこれは所謂G7の国々に言える事であり、全世界的に見ればまだまだ贅沢には程遠いが。)今回の100年に一度と言われる世界的金融恐慌はひょっともしたら、人類よもっと謙虚になれと、見えざる神が我々に与えた強烈な警鐘かも知れない。地球温暖化も人類の贅沢と利便性から来る産物であることも神は知っている。

チョッと話がそれたが、要は私達は時々こういったシンプルで不便な生活を体験することにより、初心に帰るというか日常生活の中で出来るだけ謙虚さや慎ましさを忘れないように心掛けてきたのである。

今回は数十年ぶりに夫婦の出逢いの地を訪れた。私達は、アメリカの田舎へ行くといまだに見つけられるベッド&ブレックファーストという、日本的に言うと昔の旅籠のような質素な所に一週間程滞在した。そこはかって二人が働いた牧場の近くの村にあり、また二人が初めての夜を過ごした忘れ得ぬ館であった。そして運良く当時と全く同じ部室が開いていたので以前からそこを予約してあった。そこのオーナーは変わっていた。またその近辺にある想い出の場所をあちらこちら尋ねたが昔の知り合いには殆ど再会することは出来なかった。

しかし、私をかって可愛がってくれた牧場のオーナー夫人が90歳の高齢ではあったが健在でいたのは嬉しかった。お互い暫し涙にくれたが私の成長を心底喜んでくれて、今あるはあなたのお陰と幾度と無く頭を垂れたのであった。これが多分今生の別れと思わば、人の一生とは儚いものよ、と久方振りに感傷的になった。

気高いロッキーの山々の景色は数十年前に見た景観と変わりなかった。小川のせせらぎも小鳥の鳴き声も馬がノンビリ草を食む光景も全く同じだった。つくずく思う。“ 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。”毎年決まって同じ季節に花は咲く、でもその花を賞でる人は同じ人ではない。遠くへ行ってしまったということもあるだろう。亡くなってしまったこともあるだろう。そして自分自身だって以前と同じと言うことは少ないものである。変わっていくことだけが、ただ一つ変わらない法則なんだろう。万物は流転するのである。

当然かっての牧場にも寄って見た。当時のオーナーそのままであったが彼らも年老いて今は娘夫婦が経営をしていた。全てが懐かしく、数々の想い出がまるで走馬灯の如く脳裏を駆け巡った。私が4年余の間住みなれたバンクハウス(カウボーイの寝泊りする小屋でかっての奴隷達が住んだものより若干ましな程度の建物。)は最早廃家と化し、もう誰も住んでいないと聞いた。ここにも彼女との想い出があった。それはまた次に語ることにしよう。

帰りも二日かけてのノンビリドライブだった。会社人生の頃は休暇の終わり近くはせわしなく、またビジネスの戦場に戻らねばと考えると身が引き締まる思いがしたものだが、今は人様に迷惑さへ掛けなければ身も心を全くの自由人、気楽なことこの上ない。毎日がサンデーであるから、別に急いで帰らねばならない理由もないし、そしてあまり先のことを考えない生活というのは一度やったら止められないものである。人生が二度なくて本当に良かった。こんなグウタラな不良高年?ではもう誰も相手にしてくれないだろう。でももう、メじゃない!女房もこの我儘人間を諦めかけている。

好きな事、楽な事、嬉しいこと、気持ちのいい事、易しい事。。。。そうストレスからは180度反対のことしかやらない。それが今までもそしてこれからも私の人生哲学である。いやそんな難しいものではなく、ただただお気楽さんを続けたいだけなのかも知れない。

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