話は遡るが。。。。時には祖国のことも触れなければならない。そうすることによって己の浦島太郎化を防ぎたい思いもある。でも徐々にではあるが感覚的に愛すべき祖国と合わない部分が少しずつ多くなって来た様でチョッと寂しい気もしない訳ではないが、自分の選んだ人生、愚痴は言うまい。
「おまえの親不孝にはもう慣れたけど、亡くなった父親の三回忌や納骨くらいは是非とも来て欲しい。」余り気乗りはしなかったけど,そんな風に老母に泣かれたので一昨年久し振りに家内とともに日本に行ってきた。
成田空港へ降りた途端やはり来なきゃよかったと思うことしきり。9月も半ばだから暑さも和らぎ少しずつ秋の気配がとの目論見が完全にはずれ、それから二週間というもの、あの恐ろしい程いやらしい蒸し暑さに悪戦苦闘させられたのである。地球温暖化の所為とかで夏がすっかり9月にずれ込んじゃっている、加えて何処へ行っても省エネとかいって冷房温度を高めに設定してあるので、涼しさとは程遠い住環境。嗚呼テキサスの我が家へ一刻も早く帰りたい。。。。。でもどうせ来たんだから新鮮な魚介類を食べ温泉に浸かることだけはやって帰らなきゃと,二人ともファイティングモードをリセットして勇躍愛知県の田舎に乗り込んだ。それもドがつく程の田舎である。
ところが日本の田舎の風習は我々のそんな思惑など無視。三回忌法要の前夜祭だ後夜祭だと名うって親戚縁者が入れ替わり立ち代り実家に押し寄せる。(以後離日するまで飲めや歌えの宴会がどれだけあったことか?)彼らには長旅で疲れているだろうから暫くそっと休ませてやろうなんていう思いやりのかけら?もない。彼ら流に精一杯歓迎しているのが痛い程わかるので、こちらも一生懸命努めようとする。これは文化の違いだ、習慣の違いだ、と自らに言い聞かせる。愛知県のド田舎―東京―ダラス-テキサスのド田舎をイメージして欲しい、この文化的格差は如何ともし難いし、それを理解しなければこんな連中とは全く付き合い切れないのである。
家内は既に二日目で時差ボケの調整もままならないうちにグロッキー気味。と言うのもエアコンがあるのは一室だけで、後はもう蒸し風呂同然である。大正生まれの母はモッタイナイ思想の権化、エアコンは私達がいる時だけ使用するという。レストランやパチンコ屋ヘ行っても、社長と呼ばれる人の豪邸に行っても、そう言えば新幹線でもトイレは何故か冷房が効いていない、。。。。何故だ!!みんな結構金持ちなのに、こういうところで日本人は始末する。アメリカの文化やライフスタイルに毒され甘やかされた?自分にはもう大和民族を理解しようとする気力さえ失なわれてきている。あの我慢強さは一体全体何処から来ているんだろう?最近はそんな彼らに敬意さえ抱くのである。
今回も幾度となく坊さんのお経を聞いた。こればっかりは何百回聞いても解らない。まあ解ろうとする意志がないと言うのが当たっている。亡父は何か立派な戒名を貰ったので、色々なお布施もそれによって決まるらしい,だから高い。田舎のお寺でも、納骨に行った京都の知恩院でも、坊さんの言うなりのお金を母は有難いと言ってさっさと払っている。この業界では交渉という言葉はないのか、はたまた何で死後の自分に名前なんぞいるのか、そして日本では仏事を含め冠婚葬祭に費やすお金が半端じゃない、等々理不尽なことが多すぎる。
宗教のことになると奥が深そうなのであまり知りたいとは思わない。また私には難し過ぎるので議論をしようとも思わない。死後の世界は誰も見たことがないし、一旦逝ってしまったら今迄誰も帰って来たことがないので、まあ現世よりは面白く楽しい世界であろうと勝手に想像力を働かせている。やはり物事は出来るだけシンプルに考えたい自分のものぐさ的性格のなせる技なのだろう。それにしても知恩院などお金ざくざくなんだから、どうして教会みたいに全寺エアコンにしないんかなあ?その方が落ち着いて祖先崇拝をしたり、精神的な安心が楽に得られそうな気がするんだけど。
何んか文句ばかり言っているのでいい事が全然なかったのかというとそうでもない。最後は、帰米前の一日は老母や妹夫婦一族郎党と共に近くの小島の民宿でたらふく新鮮な魚介類を食べてきたし、帰りは箱根の温泉に寄って一晩に5回も露天風呂に浸かって来た。これでやっと今回の旅の帳尻が合った様な気がする。