一般的にアメリカ人は家系をとても大事にする。僅か240年にも満たない歴史を持つ若い国、そしてアメリカ原住民を除けば全員が新天地を求めて移住してきた連中で構成されている国家である。従って歴史が短い故に歴史の長さに渇望し、自分の祖先のルーツ探索に余念がない。
私の女房の実家キャンベル家もその例に漏れず、何かごとがあって親戚が寄り集まると決まって祖先の話が出てくる。じゃあ、日本のご先祖様を祭る如く、お盆やお彼岸にはお墓を掃除し花で飾ったり、また何回忌とかいう法要を営むかと言うとそうでもない。たまたまメモリアルデーと称し戦没者を忍ぶべくその家族が墓地を訪ねることはあっても、それ以外の連中は行くこともない。葬式の後に遺体埋葬の為に訪れるだけで終わり、まあ位牌も仏壇もない世界だからそんな感じでいいんだろう。
しかし祖先の話のことになると熱が入るのだから不思議ではある。大体どこの家系でも親族に一人位は家系の歴史に詳しく先祖からの写真やら色々な資料も所持する語り部的な人間がいる。その人に聞けば、殆どの質問に答えてくれるから、生き字引みたいなものである。
聞く所によると14世紀のスコットランドまで遡り、キャンベル家の初代当主がどうもビクトリア女王の妹あたりと結婚したらしい。ことの始まりはそこからで爾来ロイヤルファミリーと縁戚関係で由緒ある家系であるとされている。勿論長い歴史の中での家系図も何処かに温存されているであろう。でも私にとってはそんなことはどうでもよく、だから何なんだと今までも女房とよくぶつかった。「昔からの名前だけで飯が食っていけるのか、彼らが俺達を養ってくれるんか」 と迫ると、黙ってしまう。当たり前である。こんなものは日本の皇族の遠い親戚の類、それも何世紀か前の話だから、全く自己陶酔の世界でしかない。私はもとより底から這い上がって来た様な人間だから、彼らとは全く対極にいる。でも事実は事実として認めてやらねばならないだろう。
女房の妊娠の知らせを何処からともなく聞き、また軍隊除籍後の健康を案じたこともあって、彼女の両親がアリゾナにやってきた。大反対された後の初対面であったのでお互いぎこちなさはあった。でも孫が生まれたら一気に雪解けとなり私も初めて女房の実家を訪ねることになった。
数え切れない程の彼らの親戚縁者友達に紹介され、それだけでも大仕事であった。そして夕食時には義父はネクタイを締めスーツ姿でやってきたし、食事の前にはなにやらお祈りを始めたので、私は戸惑った。どうも毎日こんな調子らしい。固苦るしくてメシが不味くなる。義母が 「 ところであなた達はいい教会を見つけ毎日曜日礼拝に行っているでしょうね? 」 と私に尋ねてきた。私は咄嗟の返事が浮かばなかったが、テーブルの下の女房の足が私の足をしきりと蹴っている。私は、「 ええ、勿論欠かすことなく行っているしお陰で既にいいお友達も沢山出来ましたからご安心下さい。」 と答え、それを聞いた彼女は満足そうだった。実際のところは、女房はじゃじゃ馬であるし私は教会アレルギーだから礼拝など行く訳がない。日曜日の朝早くなんて冗談じゃない、それよりゆっくりオネンネすることが最高の楽しみの二人だった。よって結婚以来このかた日曜礼拝など行ったことがない。しかし、義母は死ぬまで私達は真面目に教会に通っていると思い込んでいた。
ともあれ、滞在中は色々家系の話を聞かされたり、古い写真を見せられたりで閉口したが、適当に相槌を打つしかなかった。義父のおじいさんはアメリカの鉄道華やかなりし頃のボルチモア鉄道の創始者の一人、義父は海軍の軍人かつエアポートマネジメントの権威らしく今まで多くの飛行場建設に携わってきた、義母はかってミス何とか大学の才媛。。。。話は延々と続いた。私はそんな過去の人様の栄光に尊敬はするけども怯むことは一切なかった。
でも、これは大変な所の娘と一緒になったものだなあと思ったが後の祭り。今更そんな泣き言をいっても始まらず、俺が結婚したのは家とではなく、じゃじゃ馬となんだと一生懸命自分に言い聞かせた。そして例の極楽トンボ的発想で、“ ま、いいか。どうせこの教会バアサンと寝るわけじゃないんだから ”という楽な気持ちになったのである。
そう言った義父母も今はなく、残っているのは女房が妹と分けた先祖代々のアンティークの家具調度品や古ぼけた分厚いアルバムである。女房は一ヶ月に一度くらいの割合でそう言った全部の家具などを特性の油で磨き常に光沢が失われないように手入れしている。全く飽きもせずようやるなあ、と思うけど彼女にとってはそれらを磨くことで祖先への礼拝をしているのかも知れない。
息子はアンティークになど興味なくもっぱらコンテンポラリーなものを好んでいるので時々女房に、ママが死んだら全部売って換金しようかな、と冗談を言う。そうすると根が真面目な彼女は烈火の如く怒る。伝統を継承していくことの大切さ、有難さが全然解っていない、と。まあ私はあの世へ逝った後はどうなろうと知ったことじゃない。息子が好きなようにすればいいんじゃないかな、正直どうでもいいことなんだと内心思うけど、表向きは家庭平和の為彼女に賛同しそういう息子を 「 お前は何を考えているんだ。少しはご先祖様を崇拝したらどうか 」と説教するのである。