以前の自分史は私のいままでの生涯に亘っての出来事を書いた。ほぼ60有余年に及ぶ私にとっての大河ドラマである。しかし今回は私が現役を退き還暦を向かえ、悠々自適の生活を始めた以降、とりわけ女房が乳癌の宣告を受けてから今日に至るまで4年前後に凝縮した形での執筆となった。
従って幾度となく同じことの繰り返しをしているし私の心が大きく揺れ動いた日々だったので、何回も聞くとくどい感じもしないではないが、私はそれでいいと思っている。いや意図的にそれを繰り返すことで出来るだけ多く女房に触れたいと言う正直な気持ちがあったのである。実際私は書くことによって女房と話すことが出来ることを学んだ。
まさか自分の人生の中で、自費出版とは言え二冊もの本を出すとは夢思わなかった。それが出来栄えの云々は問題ではない。大事なのはこの世で一生懸命生きたことの証としてのこの二冊が、私の墓標として永遠に残ることである。多くの人達の目に止まらなくてもいい、今はただただ自分で大仕事終えたと言う自己満足で一杯である。
もし女房が他界していなかったら恐らく私は自分史の完結もしなかっただろうし、ましてこの「永久に咲く花」が陽の目を見ることはなかったであろう。そう言った意味では私は彼女に感謝をしている。彼女と共に年老いて気がついたら80歳にも90歳にもなっていたら、ボケにならないように足腰が弱らないようにすることで精一杯、自著を完結させようなどど言うエネルギーなど残っていないと思うからである。
この二冊目は私にとっての「千恵子抄」である。全編通して女房への賛歌が溢れ、彼女への感謝で始まり彼女への感謝で終わっている。何故ならこ私はこの本を私の余生を生きていく上での心の拠り所、心の糧、心のよすがとしたいからである。寂しいとき、辛いとき、悲しいときこの本を紐解くことによって心の安らぎや安寧が得られることを信じて疑わない。それはこの本の中には彼女がいつもいるからである。
もう私は残された人生の中で新たに本を執筆することはないと思う。もっともまたぞろ不良高年、不良ジジイとなって無茶苦茶するかも知れない。そうしたらもう一冊書けるだろうけどたぶんこれが終章であろう。最愛の女房と己との記録を残すことで私はこの世での仕事を終えた気がするからである。そしてもう静かに暮らしたい。女房が何時呼んでくれるかは分からないが、それまでは大人しくいい子でありたいと願っている。