アメリカ人の国民性の中で彼らがおしなべて明るくフレンドリーであることはよく知られている。見も知らぬ人でも気軽に話しかけてくるし、あまり難しい顔をぜず笑顔で接してくる。日本でエレベーターなんかに乗るとシーンとしているし、みんな表情が固い。何故だ、これは国民性の違いだとしかいい様がない。でもこのフレンドリーが実は結構な曲者であり、こちらへ来た当初は私も色々と苦い経験をした。いずれも彼らの国民性に関する予備知識がなかったことに起因するが、端的な例を一つ示そう。
若い女性もフレンドリーである。初対面でも眼と眼が会えば微笑み返してくるから、一瞬こちらに気があるんではないかとギクッする。特に見目麗しい娘はその様な仕草のプロみたいなものだから、まして彼女が何かの拍子に話し掛けてくるようなことがあれば、完全に錯覚してしまうのである。日本でのこの手の経験は、ほぼ間違いなく次はデートコースへと進む。
だから、私もそのステップを踏もうと次回はデートの約束をと思いその旨告げると、微笑みながら 「 あなたチョッと考えすぎじゃない?」 と言われる。ではあの最初の時の微笑みはなんだったのかと問うと、「社交辞令よ、あなたもこれから学びなさい」だって。一人だけでは信じられなかったから、それからも同様なケースが多々あったのでその都度みんなアプローチしてみたが、結果は全て大同小異だった。チクショウ、俺をコケにしやがって!!と怒ってみても私の未経験や知識不足の所為だったことは間違いなかった。
こちらでの生活が長くなるにつれて、アメリカ人は最初はフレンドリーであるが、ある程度のところまで行くと見えない壁みたいなものがありそれ以上の深い付き合いを中々しようとしない。勿論その壁をブレークスルーするとそれ以後は終生の友達としての付き合いが始まっていく。
何故この様な行動規範を取るのだろうと考えてみると、やはり毎日数え切れないほどの異民族異人種の中で生活していかねばならないから、生きる為の知恵としてそういった習性が自然と身についていったのかも知れない。自分とは人生観も価値観も異なる多くの人達に囲まれていると、表向き仲良く、しかし誰が自分の味方かの選別は時間をかけじっくりと、ということになるのかも知れない。言わず語らずであるいはアウンの呼吸で理解が可能な単一民族の中での生活とは全然違うのである。
数え切れない程多くの異人種が住んでいるこの国では、また夫々の人種によるコミュニティも作られている。だからその中では極端なことを言えば英語を喋らなくても何不自由なく生活は出来る。しかしアメリカ社会とは隔絶し何のためにここに住んでいるのか解らなくなってしまう。でもアメリカ人以外の外人(ここでは我々が外人と呼ばれる。)は、こういった人種によるコミュニティにも大なり小なり関わりを持って生活して行くのが一般的である。私も日本食がないと生きられない人間だから、車で二時間弱の都会にある小さな日本人社会への少しの関りあいは持ち続けている。
アメリカの片田舎と言ったら、まず日本では想像がつかないだろう。ここテキサス州は日本の二倍の面積、まして少しばかりの山が西部地区にあるだけの大平原。そこに3000万にも満たない数の人が住んでいる。面積と人口比から割り出す人口密度は日本の10分の1である。(いや国土の85%が山と言われる日本とここでは居住可能面積ということを考慮すれば実際には何十分の1ともなろう。)州内には非常に多くの小さな町があり、その近辺にいわゆる村サイズの集落が点在する。そしてこの辺りでは教会との関係は強く礼拝率も高い。それは、広いアメリカの中で日常社交的に人と接する機会が少ない農村部の人達が社交の場を求める為とも言われている。
私の牧場は町から6キロくらい離れた所にあり、勿論お隣さんは指呼の距離には程遠い。町は白人主体で日本人は今の所私だけである。女房が白人のアメリカ人でなかったら、こんな所に住もうなどとは夢にも思わなかっただろう。農村地帯の真っ只中にありながら大学があるから結構高学歴の人たちが多く住んでいる。その為かコミュ二ティの慈善活動や種々のクラブの会合が盛んである。私の女房は例のクソバッタケだから何処にでも顔を出す。私に言わせれば訳の分からない類のものが多いが要は井戸端会議に毛が生えたようなものと考えれば間違いないだろう。かっての西部開拓時代の名残があるのかこの辺りではあまり個人の家に招いたり招かれたりすることをせず殆どコミュ二ティの溜まり場に皆集まりランチやディナー、ワインパーティなどでワイガヤするのが一般的である。
ガーデンクラブ(町の美化推進)、キワニスクラブ(恵まれない子供達の援助)、文化クラブ、聖書クラブ、ロータリークラブ、ワインクラブ、商工会議所支援クラブ。女房がぞくしているものはザッとこんな調子であるから、毎日の如く出かけてゆく。“女房丈夫で留守がいい”とはまさにこのこと。正直長い会社人生で人付き合いに疲れた私は、もう出来るだけ人避け、人払いをしているからそんな所へ行くはずもないし、どうしても夫婦同伴でなければならない時以外は絶対に顔を出すことは無い、と言うのが女房とのルールである。
時々こんなことも考える。私達の場合は女房がコミュ二ティとの繋がり役になっているから私が少々偏屈であっても隔離されずに済むが、これが日本人の夫婦であったら、こんなアメリカの農村で住むのは辛いことだろう。だから大部分の日本人はある程度の同胞がいる都会に住むことになる。私は既に遠い昔身も心もアメリカに移住したと思ってきたが、<三つ子の魂百まで>の例えの如く私の中から「日本」が消え去ることは決してない。だから時々は小さいながらも日本人コミュ二ティがある都会まで出かけ行き、そこで五感に訴えて「日本」を味わってくる。そうすることによって望郷の念も暫し和らぎこの農村での日常生活をまたうまくエンジョイする術を学んだのである。