私の女房は口から先に生まれてきた様な女である。最も世の大多数のご夫人方はこのカテゴリーに入ると思うから別段不思議なことでもない。パーティに行く時は眼が輝いている、暫くお呼びがないと自分で企画してまでのパーティ気狂いである。しかしそのうちとんでもないことを約束して帰ってきた。
終の棲家と決めたこの地は大学の街でもある。テキサス農工大と言ってその分野では少しは名が知れた大学の分校があるから教育関係者も多い。ある大学教授の夫人と意気投合、お互いの旦那の話をしているうちに私の経歴がユニークということで早速教授の耳にも入れたようである。そして気がついたらいつの間にか女房は私が学外講師をやるように設定してきたのである。会社にいれば 「 上司の許可も得ずに何をやっているんだ、俺は絶対許さんしそんなものは引き受けんぞ、このドアホが!!」 と喚き散らすのだが、如何せんもうリタイア組、家庭では地位が逆転し、今では悔しいけれど女房殿が私のボスである。よって有無を言わさず学外講師なるものを引き受けるはめになった。
大学の教授も自分の授業だけではマンネリ化して学生も飽きてくることを知っている。だから適当に目先を変えたいという気持ちはよく分かる。暫くして彼から招聘状が届いた。次のような掲示を学生にしましたのでよろしくお願いします、とのこと。そして対象は経営学部の大学院生とあった。< 学外から生の経営を聞くを趣旨とし、通常の講義では触れることの出来ない話題や内容についてユニークな講師の方にお話していただきます。狭い意味での経営にとどまることなく世界やアメリカの社会、経済に話が及ぶこともあり、経営知識の習得のみならず、将来の社会人としての自覚を育て磨いていくことを目的とします。>
「 オイオイこりゃエライこっちゃ、生まれてこの方家庭教師さえしたことがないのに大学院生を前に講義なんて出来っこない。まして英語ででっせ。」 女房曰く 「 会社にいた時は社員には、何でもやって見てから文句を言え、やらないうちからグチャグチャ言うな、とよく言ってたじゃない? いつの間に人には厳しく自分には優しくなっちゃったの?! 」 彼女中々のしたたかもんだから亭主のどのボタンを押せば男気を出して走りだすかよく知っている。< チクショウ、俺を舐めるな。だったらやってやろうじゃないか。>
結果的には売り言葉に買い言葉の感じでこの話進めざるを得なくなった。でも、どうもがいても格調の高い講義など出来る訳がない。であるならば、ユニークさで学生を引き付けるしかないなと思った。早速お目当ての教授センセイに面会に行った。勿論カウボーイブーツを履き、カウボーイハットをかぶりチョッと崩れた格好をして象牙の塔に乗り込んだのである。
センセイやっぱりびっくりしていた。机上には彼が準備してきたメモ用紙ありどういうテーマで話をしてもらいたいかのポイントが書いてあった。難しい用語ばかりで私は最初からそんなことを話すつもりは毛頭なかった。色々話をしていくうちに奴さんカウボーイ物語にのめり込んで来た。ここまで来たらシメタもの、後は私の言いなりになった。そして講義のタイトルは < カウボーイでも社長になれる!> ということになった。
そしてセンセイそれからどうしたか?掲示板の文句はそのままにして一部次のような括弧書きを加えたのである。ユニークな講師 <カウボーイでも社長になれる> 一言だけセンセイが言った。アメリカの学生は講義が面白くない、為にならないと思ったら教室を出て行くこともありますので念のためと。
当日は男女学生合わせて30名程の院生が集まってきた。センセイ曰く、あのタイトルのお陰、こんなに集まったのは今までにあまりないこと、期待していますよとのプレッシャーを与えられた。かぶって来たカウボーイハットは最低限の礼儀と思い演台において話を始めた。
開口一番一発食らわせた。「 難しい経営学の話を期待している人は今すぐ出て行ってくれ。そんなことはあなた達の教授に教わればいい。でも私には教授には教えてもらえないだろう実学がある。実世界で生き残る為の知恵や街中での会社経営をしてきた世知がある。皆さんのカウボーイに対するイメージは飲んだくれのノー天気、動物相手のならず者と思っているだろう。しかしそんな底辺の職業みたいなカウボーイでも、能力と志さえあれば社長になれる。この物語に興味のある人だけが教室に残ってもらいたい。」
誰も出て行かなかった。講義の内容は勿論会社設立からリタイアまでの軌跡を語ったのだがみんな真剣に聞いてくれた。そして一時間の講義の最後まで誰も出て行かなかった。終わった途端全員が立ち上がって大きな拍手をしてくれたのでとても嬉しかった。
それでも相手を違えて同じような講義を三回行った。センセイもご機嫌でまた来年も頼もうかなと言ってきたので、もう頼むから勘弁してと想い出のキャンパスに別れを告げた。所詮みんなに喜ばれても自分の性には合わぬこと、教壇に立つのも一生に一度で十分、もうやらないことに決めた。