結婚生活も長いことやっていると色々なことが起きる。私も他の多くの人達と同じように、小市民的というか人並みの幸せが感ぜられれば人生良しとしてきた方である。しかし、人生そんな良いことばかりではないこともこの歳になると解ってくる。殆どの人が、時には人並みの不幸せというやつも経験するように定められているのである。でも今迄の経験則からいって、良い事は長くは続かない、しかし逆に悪い事も長くは続かない。だから救われる。昔の人はうまいことを言ったものだ。人生山あり谷ありだ、と。
実は昨年早々、女房が乳癌の恐れがあるとの診断を受けた。ナヌ、こんなに明るく極楽トンボな人間でも癌になるんかいな?!以来色々な検査をおこなってきたがその結果残念ながら第三期の乳ガン(末期癌直前らしい。)であることが解った。お医者が言うには、癌というのは偏見やえこひいきは致しません、誰でもかかる可能性があります、と。家内も最初から真実を知る権利を主張したし、私もお医者に後で別室に呼ぶようなことはしないでくれと頼んだから、とても辛かったけどストレートな話を聞かされざるを得なかった。
可哀そうだが、そして悔しいけれども事実を厳粛に受け入れるしか術はなかった。爾来数ヶ月、本人はもとより家族もガンの宣告を受けた者達が一様に辿る怒り、嘆き、苦しみ、絶望等々の辛い日々を過ごして来た。「今まで苦労してきたからこれから少しばかり人生楽しんでもバチは当たらないわね。」と女房が言っていた矢先である。クリスチャンの彼女は問う。「神様、私は何か悪い事をしたの?あなたに忠誠を尽くし、ズッと祈ってきたのにどうして癌なんかになってしまったの?」大坪の涙を流しひざまずき天を仰ぐ彼女を見るに忍びない日々がそれはそれは幾日も続いたのである。
しかし打ちひしがれてばかりいては日々進行しつつあるガン細胞に負けてしまう、積極的に闘うことでガンを克服しよう、涙が枯果てた頃本人もやっとそういう気持ちになってきたので正直ホッとした。それからというもの抗癌剤の注入や放射線治療、そして乳房の全摘出手術と彼女にとっては苦しく大変な日々が続いた。生きることへの執着が強ければ強い程、回復も早くなると彼女を励まし続けた。またもとの元気な姿に戻って牧場の牛の世話もしたい、ゆっくり船旅をしたい、友達や皆んなにも会いたい。。。そんな思いが彼女を強く鼓舞してくれたようである。結果的には彼女の強靭な意志の力で取りあえずは病魔に打ち勝ってくれた。よく頑張ってくれてありがとう、という言葉を私は彼女に捧げた。
こうなってみて初めて連れ合いというものが自分にとって如何に大きな存在であったか、そしてかけがえのない人生の戦友であったかがよく解った。これからは思う存分尽くしてやりたいと思う。今までさんざん苦労をかけてきた訳だから、今からがそのお返しだと思っている。暫く女房の世話をしてきたお陰で今ではすっかり看護や介護、そして主夫業のプロになったような気がする。お陰様で今は経過もとてもよく取り敢えず小康状態は保っているものの、再発の恐怖は女房共々片時として脳裏から離れるものではない。でももうあまり先のことまで心配することは止めた。明日のことは分らない、だから二人して今ある命に感謝しながら一日一日を精一杯楽しんでいこうと話し合っている昨今である。