先程から誰かがしきりと頭をこずいている。揺りかごに乗った気分でゆらりゆられていい夢をみている真っ最中なのに、突然の侵入者の出現でもうマジでキレそうになった。どうも毎朝やってくる愛犬のトラとは違う、彼だったら鼻をクンクンさせ、柔らかく温かい舌で腕や顔を優しく舐めて来る筈である。もう解ったので後5分でいいから寝かせてくれ、と言っても駄目だった。根負けして仕様もなく眠気まなこを開けてみるとそこにあったのは愛犬ならぬ愛妻の、例の古女房の顔である。しかし今朝の彼女の眼は何故かしら輝いている。“ さあ素晴らしい旅の始まりよ、寝る時間も惜しむくらい楽しまなきゃね。タイムツーウエイクアップ“ だって。 どうも彼女とは価値観の相違が顕著である。私はどこに行こうと寝ることが最大の楽しみと思っている輩ゆえにだが、今回は全て彼女の言いなりになることに決めてやって来たからこれも仕方がない。
今年は正月早々女房が乳癌の宣告を受け、以来あまたの手術や治療の連続で大変な一年だった。私もお陰様で?この歳になって看護や介護のプロになったような気がする。彼女も癌との闘いで言い表せない程多くの辛い精神的肉体的苦痛を乗り越えてきた。傍でみていて可哀そうで居た堪れない気持ちになったことは数え切れない程であったが一連の治療を終えた今、かってと変わらぬ微笑を投げかけてくれる彼女に正直感謝している。
とともに、癌に打ち克った勇気と努力に対し何か讃えてやりたい。その延長線上に彼女が長い間切望してきたカリブ海への船旅があった。現役中は忙しくて口約束ばかりだった。リタイアしてからも面倒臭さも手伝ってノラリクラリの返事をしてきたが、今度ばかりは少し真面目に対応することにした。でも私もしたたかそのもの、自分としては絶好の機会が到来したとも思った。ここでしっかり点数を稼いでおけばこれから再び数年はそのクレジットを使い例の如くマイペースで毎日好き勝ってな我儘生活が送れそうな気がする。だから頑張って奥様サービスしなくちゃ!!!
久し振りの船旅である。7泊8日、ハイチ、ジャマイカ、グランドケイマン、メキシコのコズメル島が寄港先。たまたま運よく昨年建造された世界最大の豪華客船リバティオブザシーでの乗船となった。もう大きすぎて広すぎて船という感覚は全然ない。聞くとあのタイタニックのサイズとほぼ同じらしい。アイススケートのリンクがあるのには驚かされた。ロッククライミングやサーフィンまで出来る。勿論カラオケやジムもある。プールやジャクジが15箇所、バーに至っては20数箇所もあってなんかみんな朝起きてから夜寝るまで飲んで歌って踊ってばっかり。いや女房の言う通り、寝る間も惜しんで騒ぎ浮かれにきたのかも知れない。ありとあらゆる趣向をこらしまさにこの船は100%乗客を楽しませる為に造られたといっても過言ではない。何故かしらカリブの海に憧れてきた彼女、長い間の夢?が実現した女房の喜びようは言いようもなく、こんなことならもっと早く連れてきてやれば良かったとも思ったが、癌に打ち克った後だけにその感激が数十倍にもなったことを考えると、私は運よく最大限の効果を醸し出し得たのかも知れない。
一緒になって30有余年、こんなに毎日二人で乾杯ばかりしたことはなかった。まるで絵葉書を見ているようだった。本物のエメラルドグリーンの海に出逢えた。水平線に沈む夕陽の荘厳さは筆舌に尽くせ難いほどだった。満月に照らされた夜の海もまた幻想的だった。生きていることへの喜びや全てのものへの感謝の気持ちが必然的にどちらからともなく乾杯の仕草となった。あの重ねあうグラスの音が、長い夫婦生活の中で今回ほど心地よく響いたことはなかったのである。
とは言え全く非日常の世界に没頭した訳でもされた訳でもないのが如何にも現代的で面白い。船の上で外界とは隔離されていると思いきやCNNで世界のニュースは刻々と入って来るし、インターネットやEメイルもOK,そして
携帯電話も使用出来るとあっては、もう日常と非日常に境界線など作れない。かって10数年前に船旅した時には本当に別世界の感じがしたが、まさに文明の利器はどんなことでも可能にしてしまう。それが良いか悪いかは別にしてだ。
また時間の制約もなくあちらこちらで無制限に何でも只で食べられるので、常時腹に余って眼に余らない状態が続きダイエットを気にしている連中にとっては非常に危険な場所でもある。ましてどちらかと言えば“食べる為に生きている”カテゴリーの人間にとっては最悪で何もしなければ十数パウンドも太って下船することはまず間違いない。だからそう言った人達の為(私もそのメンバーの一人ではあるが)に素晴らしいジムが完備されている。勿論私もそれを毎日利用させてもらったが、何故かトレッドミルを使って歩いているうちにかっての若かりし日々が無性に懐かしくなった。あの頃は食べても食べても全然太らず、どうしたら肉付のいい立派な身体になれるんかなあ、とばかり考えていた時代もあった。今じゃもう自分ながら裸になるのも嫌。でも人間歳とともに外見は醜くなって行くけども、中身はドンドン成熟し人間としての深さや大きさが醸成されてくるものだと信じることでしか救われないような気がた。納得!
ちょっと横道にそれてしまったが旅の終わりの日に女房がもう一度デッキに上がって夕陽を見に行こうと言い出した。また絵に描いたような美しい落日の景色だった。気がつくといつの間にか私の手が握られていた。そして彼女が一言。“ あなた、素晴らしい旅をありがとう。”思い切ってカリブ海にきて良かった。そして少しばかり以前より女房に優しくなった自分も発見出来た。明日のことは解らない、だから二人して今ある命に感謝しながら大いに楽しむ、ということ学んだ忘れえぬ感動的な旅であった。