夫と妻。この関係は独特なものがあり100組の夫婦がいれば100通りのパターンがあり一概にどれが秀でてどれが劣っているかを論じることは出来ない。ただ私に言えるのは、彼女は私の人生で掛け替えの無い最も大切な存在であったと言うことである。それは両親や一人息子、兄弟や親しい友人達への思いとは全く異質で一線を画するものなのである。
人間を65年もやるとその間に身近な肉親の死に会うことは別に珍しいことではない。私は昔を振り返ることはあまり好きではないが、それでも時として古いアルバムをめくることがある。ああこの人も逝ってしまった、あの人も逝ってしまった、残っている方がすくなくなってきたな、と思いしばしの感傷に浸らされる。やはり私も普通の人間ではある。鬼籍に入ったもので近いと言えばやはり父方母方双方の祖父母、父、二つ年上の兄、そして女房の両親である。勿論叔父叔母従兄弟を入れたらその数は半端ではないが、何故か彼らの死には縁遠いものがあった。それは私がアメリカに移住してきたからなんだろう。
それでも父や兄、そしてこちらの女房の両親の死はショックではあったが、不思議と悲嘆にくれることはなかった。勿論空しさ、刹那さ、やるせなさと言ったものや、心の中に寂しさや喪失感も抱きはしたが女房が他界した折に感じたものとは遥かに軽いものであった。それは決して彼らに対する愛が希薄と言うものでなく、誰もが抱く親子愛、兄弟愛というものを私も強く持ち合わせていたから
彼らの死を真摯に受け止めたことも事実である。
でも興味を引かれるのは、血の繋がりで云々ある。血は水よりも濃いしだからそう言った愛も必然的に生まれる。しかし夫婦の間には血の繋がりはないのである。にも係わらずこの組み合わせは血の結束をも超越した最大最強の繋がりであると言うことは驚異にも思う程である。そして親や子は兄弟は選べないが、夫や妻は選べる、と言うこととも関連して誠に興味尽きない関係ではある。
今地球上には65億人もの人がいる。そんな中での二人の巡りあい、苦楽を共にした人生、そして今生の別れ。まさに運命の糸で繋がれていたとしか考えられない組み合わせである。それだけに彼女との今生での35年はあまりにも重厚、広大、深遠の思いがするのである。またその運命の糸は来世まで繋がっていることを信じて疑わない。
母と子。彼らは臍の緒で繋がった関係だから、父親には絶対に近ずけない世界を共有している。羨ましい気もするが母と子と言うのはそう言うものだと思うから納得がいく。彼女の癌宣告から手術、再発から入院、そして臨終までに至る間の彼女と一人息子との間に交わされた会話やお互いを思う気持ちは特別なもの、私と彼女とのものとは異質であった。夫としての自分は、共に年老いて同じ時期に逝けたらと願う。しかし子は遠からず母との死別を覚悟してきたかのように思う。それが世の倣いでもあるからだろう。だから彼は母の旅立ちで大いに嘆き落胆はしたものの、立ち直りは私より遥かに早いと思う。
彼女が旅立つ数日前に二人はじっくり話し合ったようである。そして彼女は息子にこう言ったと後日息子から聞かされた。 「 私の68年に亘る人生の中で最も誇りに思えることは、あなたをこの世に産んだことです。私は自分の命にかけてあなたをこの世に迎えました。だから母亡き後も自分の人生を大切に生きて下さい。私達母と子の絆は永遠です。私はこれからもあなたをいつも空から見守っています。そこにはいつもあなたが愛した大事な母がいます。だから淋しい時や辛い時は空を見上げ話しかけて下さい。」 彼女は息子に溢れる程の愛と優しさを残して逝ったのである。
信ずるものは救われる、彼は母のその言葉を完全に自分のものとすることで、再び前向きに力強く歩き出した。勿論彼は幼少の頃からこちらで生活したし、カソリックの高校へも行ったから私なんかより遥かに宗教的なバックボーンは強いのだろう。こう言った時にこそ信仰心の差が出てくるような気がする。ところが私はと言えば、泥縄式で今一生懸命天国の存在や来世があることを信じようと努めている。そして彼女に話しかけたり、来世で再び会えること所望している最中である。息子によると、それは心の有り様で可能だと言う。
彼は私より遥かに進んでいる。そして強い。天空に母がいることを100%確信しているが故に、彼の心は安寧と安らぎに満ち溢れたものになっていることを信じて疑わない。
今迄私は彼に対して父親として人生の先輩として強く逞しくなれと教えてきた。しかし今回の女房の他界を境に、私の彼に対するアプローチを少し改めねばならないなと思うようになった。私は小さいながらも事業で成功をおさめたり、ささやかではあるが夢を実現したりして所謂俗世間的な人間としては息子よりも遥かに強く上を行くと思ってきた。しかし、女房の死の受け止め方やこれからの人生に対する姿勢を見るにつけ純粋な意味での「人間」としては彼の方が私よりも強く卓越しているな、と思った。