女房の遺品整理はいずれ避けては通れない道である。遺品を片付けると言うことは故人の思い出を処分してしまうようで簡単に行えるものではない。いや別に決まりがある訳ではないので何も慌てて遺品整理をしなくてもいいと私は思う。と言うのはゆっくりと時間をかけて遺品整理を行うことで故人がこの世にはもういないと言う現実を受け入れていくプロセスにすることが望ましいように思えるからである。それは「長いこと引きずる」と言うことではない。一気に整理する方がすっきりすると言う人もいるだろう。しかし私は、そんなやり方は傷口に塩を塗りたくるようなものだ思う。傷口の治療は時間をかけての自然治癒が一番だと思っている。
遺品といっても有形のものもあれば無形のものもある。例えば形のある遺品だと、女房が着ていた洋服や愛用していた遺品となる。そのもの自体を目にすると辛い事もあるが、反面それを目にすることによって彼女を思い出すことも出来る。昔からの写真や本、新聞の切り抜き、大事な手紙諸々である。無形のものと言えば、自分だけが心の中にしまってある彼女との出来事などの思い出は、形こそないが大切な記憶として残されていく。そしてこの思い出は私の心の中にいくつかの引出があって分類されその中に入っているのである。ふとした時にそれを開け、彼女との思い出に浸るのもまた楽しからずやである。
自分の大切にしてきたものを、自分亡き後も続けて愛用して欲しいと言う気持ちは誰にでもある筈である。例えば女房が愛用した家具や調度品の数々はこれから代々引き継がれていくことと思う。どのような形にしろ、遺品整理を行うと言うことは故人の思い出を引き継ぎ新しい思い出として残していく大切な仕事だと思っている。
私は概ね殆どのものは手付かずにしてある。それはまた日本にいる息子の要望でもある。これからは彼も出来れば毎年一回はこちらを訪ね、その際に少しずつ彼女の遺品を整理して行きたいと言っている。恐らく将来の伴侶となる女性と母を慈しみながら少しずつやっていきたいのであろう。宝石や装飾品や衣類など女性の目から見て何を残し何を捨てるかを彼女に仰ぎたいのかも知れぬ。実際私でも良く分からない分野であるから、その仕事は彼らにまかせようと思う。
でも書類関係の整理は財産贈与、名義書き換えなどの手続きがあるのでこれは私独自で進めてきた。ある日私は古い新聞の切り抜きを中心とした彼女のスクラップブックを整理しようとした。その中に冒頭に掲げた写真の記事を発見したのである。それは女房が25歳の時フロリダで開かれた万国博の時に彼女はミス万国博に選ばれたと記載されてあった。私にとっては晴天の霹靂の如きショックであった。いまだかって彼女の口からそんなことを聞いたことがなかったからである。
自分でいうのもおこがましいが、女房は美しかった。特に若い頃の美貌は多くの人から、あのジャクリーンケネディに似てるねと言われてきて、私もそのことは彼女の友達などから耳にし素直に嬉しかった。だから私の意地悪いポン友どもはよく私達の組み合わせを「美女と野獣」と言って酒の肴にしたくらいである。彼女の母親、私の義母であり既に他界しているが彼女もミス大学に選ばれたほどで美しく、彼女が85歳の時に顔のしわをとる為の整形手術をしたのには驚いた。美しさを保つ為、美へのあくなき追求、それへの執着心は尋常ではなかった。
それはまた娘である女房にも確実に引き継がれていた。だから「旅立ちへの選択」の中でも述べたが乳癌の全摘手術でなくなった乳房や抗癌剤の為に失った髪の毛を、彼女はどうにも我慢がならなかったのである。女性としての美しさを保ちたいと言う願望は彼女をして「手術もせず抗癌剤も打たずそれが為たとえ死ぬほどの苦痛を味わおうとも、私は癌患者である前に一人の女として一生を終えたかった。」と言わしめたのである。
夫婦というものはたとえ一緒になり一身同体の間柄になってもお互い語らない過去、語りたくない過去と言うものがある。私はそれはそれでいいと思うし、世の中には知らない幸せ、知らされない幸せと言うのが山程あるからである。彼女も私に語らなかったことはあろう。しかし何故ミス万国博に選ばれたような名誉なことを夫である私に言わなかったんだろう。そんな疑問が湧いたが、いや待てよ、女房は奥ゆかしさというか謙虚さも兼ね備えていたから敢えて己の自慢話などしなかったんだろう、彼女はそんな女性であったのである。
うっかりしていたら見逃すような新聞記事と写真であった。そしたらこの事実はもう永久に陽の目をみることはなかったろう。だから私は「彼女の名誉の為に」 そして後々までも彼女の子や孫、ひ孫に至るまでこの美しかった母や祖母や曾祖母を誇りに思って欲しいという願いから、敢えてここに記録として残そうと決めたのである。