よく聞く言葉で茶席の禅語としても有名なものである。意味は毎日が好い日であるとのおぼろげながらの知識だが実はその意味するところはもっと深い。早速辞書を紐解いてみると。『その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日であって、日々の苦しみ、楽しみ、悲しみ、喜びなどこう言った良い悪いに対する執着がなくなり、今日を素直に受け止め、自然の中で生きているということを感じ、一日を意のままに使いこなす、過ごせると言うところに真実の生き方がある。』というような意味である。チョッと難しいが、要は過去も未来もあまり考えずに、今の今を楽しめ、ということだと私なりに解釈している。
私の住んでいるこの牧場は敷地16万坪、日本的な感覚ではとてつもなく広そうだがここテキサスでは猫の額ほどしかない。とは言っても門から家まで200メートルくらい離れているから、別世界ではある。門を閉めておけば誰も入ってこない。一週間でも一ヶ月でも入ってこない、外界とは完全に隔離された状態になる。動くものと言えば自然界に関連するものだけ。朝日夕陽、小鳥のさえずり、リスやうさぎや狸等の動物達の徘徊、風にそよぐ草木、季節の移り変わりを教えてくれる野生の花々。。。。。。。。それと飼育している肉牛達と愛犬。まさに大自然に囲まれて生きていると言う感じがする。下界や外界と繋がっているものは電話やインターネットくらい。それも気が向いた時だけ使えばいい。全て一日を意のままに使いこなし過ごせる環境にある。
とは言え、時に人恋しになる。スーパーマーケットへ出向き食料も買ってこなければならない。たまにはゴルフにも行く。都会的な雰囲気に浸りたい時には車を1時間ほど走らせれば人口700万人のメトロポリタンがあるからそこで簡単に得られる。だから決してここから出ずに仙人のような生活をしている訳ではないし、そんなつもりもない。ただ誰からも束縛を受けず全て自分のマイペースで一日が始まり一日が終わる、曜日や月日の感覚もないし暦も必要ない、時間は陽が差す角度や月の出入り、星座の位置でわかる。余分なことは考えず、時間は止まったり緩やかに流れる、そんな中に身を置きその日その日を楽しむ、それが私流の贅沢であると思っている。
何もしない日もあるが、結構忙しくする日もあり日常生活に抑揚もつけるようにしている。ある本で読んだ。常に何事にも好奇心をもって望むことが脳の活性化につながりひいてはそれがボケ防止にもなると。ここには誰もいない。しいて話し合えるのは愛犬のみ。そのうち一人で壁に向かって話しをするようになると危険信号が灯る。だから時々は外界に出て行って刺激を受けて帰ってくる。これで世の中の流れにも遅れるということも無い。大事なことである。ちなみにある日の活動を記す。「日々是好日」 をしっかり実践しているつもりである。
*** ある日の私 ***
(07:00) 毎朝必ず愛犬トラが起こしてくれる。お陰様で規則正しい一日が始まる。彼は警察犬のシェパード。とても利口な奴で私の話し相手になってくれる。
(08:00) 朝食。その後スカイプにて日本に住む一人息子や友達と駄弁る。何時間話してもただと言うのはありがたい。
(10:00) 近くの大学のジムへ行き汗を流す。(大体一日おき、40分くらい。)若い人達から元気をもらいに行くだけで価値がある。
(14:00) 家畜(肉牛)に餌をやる。(大体4日間隔で。今日はその日)大自然と動物達に囲まれた生活はストレスとは無縁。もう人間社会には疲れた?!
(17:00) 夕食( 出来るだけ一日二食を目指す。粗衣粗食がベスト。)毎日の献立を考えるのは楽しい。晩酌は一切やらず。飲み過ぎで諌めてくれる人はもういない。
(18:00) メールチェック送返信。以後インターネットサーフィン。人里離れた所でも外界と接点があるから有り難い。四半世紀前だったら、自分は仙人になっていたかも知れない。
(20:00) 徒然なるままに亡き妻に捧げる「知恵子抄」の執筆を続ける。人生の総仕上げとして、また子や孫に父母や祖父母はどのように生きたかを伝えたい。それが子孫への継承となる。
(23:00) 就寝。 寝る子は育つ、朝まで目が覚めず熟睡。歳を取って来ると朝が早いらしい。自分は異常体質なのかも知れない。
* 思うこと *
朝起きたときと寝る前、写真の女房に手を合わせて一分くらい語りかけるのが日課。(こちらには仏壇や位牌はない。) 彼女のお陰で今日があり感謝深謝多謝。合間合間に主夫(主婦)の四大仕事、炊事洗濯掃除買い物で忙しく、一人暮らしに暇はない。女房が旅立って3ヶ月。しかし心身ともに前向きで歩きたい、だって後ろ向きでは歩きにくいから。
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参考までに女房との一日も記しておく。彼女はこの牧場から7~8分のところにある墓地に眠っている。毎日朝日とともにこの牧場にやってくる。千の風に乗り小鳥になってやってきてここで私や愛犬とともに一日を過ごす。買い物も一緒に行く。都会の彼女のお気に入りだったレストランにも連れて行く。夕陽が沈むころベランダの揺りいすに座ってモウさん達がノンビリ草を食む牧歌的な風景を楽しむ。(それが生前の彼女の日課であった。)夜は満天下の星空となる。彼女はオリオン座の左下にある最も輝いている星。寝る前に愛犬と共に外に出て空を仰ぐ。そして二人で「今日も一日楽しかったね、お休み」そう言って彼女をその星に送ってあげる。私達がベッドに入る頃彼女もその星から降りて大地に帰り一夜の眠りに就く。
馬鹿げたことかも知れないがこんなことを毎日繰り返していると、本当に彼女はいまだ私達の心の中に住んでいると確信出来るようになる。これでいい。今迄散々俗世間で色々な汚染を浴びて来たから、これからの私には人知を超えた少しばかりのスピリチュアルな部分が必要だと思っている。実はこう言ったルーチンワークをこなすことで心が和み癒されることを発見出来たのは大いなる驚きと言う他ない。