私は毎日片道一時間半かけて車で彼女の病室へ通い始めた。彼女が入院してから3日程経過した日の早朝6時に電話が鳴ったので、いやな予感がした。それは病院のICU(集中治療室)の看護婦からのものであった。「 あなたの奥様は今朝4時頃、急に呼吸困難に陥ったのでICUへ移動、取り敢えずの救急処置は施しましたので、出来るだけ早く病院の方へおいで下さい。」そんなような内容だったが私はもう半分も聞いていなかった。目の前が真っ暗となり、茫然自失、暫くはその場にうずくまり立ち上がることが出来なかった。
半ば予想はしていたものの、ICUに入った途端に目に映ったのは沢山のチューブや機器に繋がれた変わり果てた女房の姿だった。うつろな目をした彼女であったが私の姿を見つけるなり一生懸命微笑もうとした。しかし彼女の口には人工呼吸器からの大きな管が入れられていて、話すことさえ出来ずただただじっと私を見つめ何かを言いたそうだった。私は彼女の手を握り「大変だったね。でももう僕が来たから安心だよ。これからは片時も君の傍を離れないから頑張って!」そう言うと彼女の目は安堵からか微笑んでいた。
医師に聞いたら暫くは危篤の状態が続くと言う。8箇所もあばら骨が折れている為に呼吸をしようとすると痛烈な痛みがある、だから自分ではもう呼吸出来ないから人工呼吸器の助けを借りねばならない、痛み止めを打ちながら何とか自分で呼吸できるように持って行きたい、そして人工呼吸器を出来るだけ早く外せるよう治療に専念する、こんなような説明があった。
ICUの隣には家族の控え室があり望めば24時間滞在可能であったが勿論ベッドの類など置いてあるはずはなかった。幸いソファーはあったので私はそこでこれからズッと寝泊りすることを決意した。そうすることで彼女の容態が急変すればすぐ駆けつけることが出来るし、それ以上に指呼の間にいることで彼女の元へ毎時間訪れることが出来る。私は医師でも看護師でもないから何も彼女にしてやることが出来ない。しかし彼女は私がすぐ傍にいると分かるだけで心強いはずだ。私の声は聞こえるからそう言うと、はっきりと頷き嬉しそうな顔をした。
それから数日後、何とか危篤状態から脱したものの人工呼吸器を外すまでには至らなかった。だから相変わらず会話は一方通行だった。私は一計を案じ筆談用のノートとペンを買ってきて彼女に書かせた。しかし全て体内システムが狂ってしまったのか彼女の筆跡は判読不可能だった。一生懸命に書き私に思いを知らせようとする、でも私は分らない。そんな時の彼女の悲しそうな表情や怒った仕草は、可愛そうで見るに忍びなかった。
私は来る日も来る日も毎時間ICUの彼女を訪ね元気ずけた。そうこうしているうちに、彼女の筆跡もしっかりとして来て何とか判読可能になって来た。人間意思の疎通が出来るということはこんなにも嬉しく素晴らしいことかと初めて体験したのである。彼女は「傍にいてくれてありがとう。でもあなたはどうして私にそんなに優しくしてくれるの?毎夜ろくな睡眠も取れず疲れきっているはずなのに??」そう言って私のことをとても心配してくれた。私は「そんなことは心配するな。夫婦は一心同体だから君の傍にいるのは当たり前のことさ。「でもあなたまで倒れてしまったら。。。」そう言った彼女に私は「君の為に倒れたら、よしんば死んだとしても本望さ。それが夫婦と言うもんだ。」
次の日、彼女は私に家に帰って休めと頑ななまでに主張した。私はそんなこともあるかと思い家から私達が結婚した時に牧師の前でお互いに宣誓し合った 『 愛の誓い 』 の一文を持ってきていたから彼女に読んで聞かせた。
汝、何々 は、何々 を妻とし、良き時も、悪しき時も、
富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、
共に歩み、なんでも正直にとことん話し合い、
あるがままのお互いの性格や、違いを認め、
互いの領域を敬い、お互いの自由を大切にしつつも、
思いやりを持って労り合い、お互いを信頼し、
お互いを決して傷つけ合わないように注意し、
お互い良きパートナーとして励まし合い、協力し合い、高め合い
愛し合って行く事を、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?
( そして牧師は全く同じ台詞を妻に問いかけ誓いの返事を待つしかる後に指輪交換、花嫁のベール を挙げてキス。。。。そして最後に二人の愛が未来永劫であることを神に祈って式は終了する。)
「天地万物を作られた大いなる創造主よ、
今この男子と女子は夫婦となる約束をいたしました。
これは計り知る事のできない、
貴方の慈しみと恵みである事を感謝いたします。
願わくば、この御前(おんまえ)に立つ男女が
ここで立てました約束をできるだけ大切に敬い、
麗しき愛で永遠に繋がってゆくことを祈ります。
アーメン、、、。
病める時も一緒にいることが夫婦の証、私が読み終わった時に彼女の頬をひとしずくの涙が流れた。そして私は彼女にこう言った。「 あの日をさかいにして私には如何なることがあろうとも君を守る責任が出来た。私は決して逃げはしない。私は君が私を世界一の夫と思えるようにわが身を君の為に献身しようと思っている。それを絶対証明してみせよう。」彼女は「ありがとう、よ~く分ったわ。今はもうただただ傍にいてくれるだけでいい。」