どんなことがあろうとも陽は昇り、陽は沈み、陽はまた昇る。しかし私が残した自分史の中での私の人生の陽は午後3時、そして一度沈んだらもう再び昇ることはない、と思っていた。私は女房よりもたとえ一日でも早く逝きたかったのでそう言った意味合いで最終章を結んだ。
「既に私が逝く時には、カウボーイハット、ブーツ、鞍をも含めて棺おけの中に入れてくれと女房には頼んである。三途の川も馬に乗って渡って行きたい。それはカウボーイであることに何より誇りを感じ、カウボーイたることが人生の目的であった男がその人生の舞台から去って行くにこれ以上の花道はないと思っているからである。」
だがしかし、世の中や人生と言うのはままならぬものである。ああ、無情。私を見送るべき女房の方が先に彼岸に旅立ってしまったのである。この世で一番辛く悲しいことは愛するものとの別れである。たとえ来世にはまた会えるとしてもしばしの別居生活は耐え難い。しかし残されたものが悲嘆にくれてばかりいることは決して故人の本意ではない。女房は夜空に輝く大きな星なっていつも私に語りかけているような気がする。「明るく生きてね、正しく生きてね、前向きに生きてね。」 と。
私は女房に生かされていると思う。彼女は私にやるべきプロジェクトを残して逝った。だからそれらを成就するまで私は彼女のもとに行くことは出来ないし、彼女も私を呼んでくれないだろう。だから私の陽は自分史の中では一旦沈んでしまったが、残された人生の為に陽はまた昇り始めたのである。