看護介護するものにとって最も辛くフラストレーションを感じるのは、患者が痛み苦しんでいる時に何もしてやれない無力感である。ただただ「辛いだろうけど、痛いだろうけど、我慢して頑張って。」 「君の傍にズッといるから安心して。」 「代われるものなら代わってやりたい。」 こんなことを言って励ますより他にどんな言葉があるのだろうか?!そして患者が苦痛に歪む顔を見るほど傍にいるものにとって辛く悲しいことはない。患者が医師や神の手に委ねられて、自分ではただ励まし祈るしか手立てがないというのはあまりにも残酷過ぎる。
ICUでの一ヶ月間はそんな苦痛の連続であったが、彼女に奇跡が起こったことで私達はここが病室とは思えない程の至福のときをそれから一ヶ月くらい味わうことが出来た。神様が恐らく粋な計らいをしてくれたのだと思い大いに感謝した。とは言え、彼女の病状が回復したと言うことでなく小康状態を保ち始めたと言うことで、日々の細かな治療は相変わらず続けられた。胸部の痛みは続いたが少量のモルヒネを打つことで和らいだので私達は会話が普通に出来るようになったことをとても喜んだ。
私達はほぼ一日中色々なことを話し合った。彼女のベッドに私の簡易ベッドを横付けしての毎夜だったが寝ながらも家にいる時のような感じで会話は続いた。いやいままでにこんなにお互いに話し合ったことはなかった。共に健康な時はある程度話したら夫々の自由時間を尊重したから、24/7で四六時中話をすることなどかってなかったのである。彼女は冗談半分でこんなことを言った。
「 結婚して最初の5年間は結構楽しかった。貧乏だったけど夜や週末はいつも家族一緒だったから幸せだった。しかし次の25年間は事業を起こしそれを成長させなければならなかったから、あなたは殆ど家庭を顧みないくらい働いた。それはそれで家族の為と言うことで理解はしたけれども、隣近所の人達があそこは母子家庭だと言われたのが辛く、寂しい思いをした。待ちに待ったあなたの会社人生引退の日、私はさあこれからが本当の意味での夫婦生活ね、とあなたをからかった。実際次の5年間の牧場生活は私にとってまさに人生の佳境、これ以上望めないほどの幸せな日々であった。が運悪くその途中で癌の宣告は受けはしたが、概ね私はこの私達のドリームランドを精一杯エンジョイすることが出来た。」
私は彼女のコメントに異存はなかった。今迄、ことある毎にあるいは断片的に来し方を振り返ったことはある。しかし今回は35年間の結婚生活、夫婦生活、家庭生活の総復習であった。衝撃的な出逢いから今日に至るまで、それはそれは尽きることのない邂逅であった。私達は愛とは何ぞやと言うテーマまでも掘り下げた。
「本来の愛と言うのは、一時的な激情によって形成されるもんじゃなく、長い間かけて熟成されるものだと思うわ。」
同感だね。だから風雪に耐え試練に鍛えられて輝きを増してくるんじゃあないかな。?!」
長年愛し合った私達のような夫婦には、穏やかな何とも言えぬいい味がある。
「生まれも育ちも考え方も生き方も価値観さへ違うもの同士が、ひとつ屋根の下で暮らし何もかも共有しなければならないから、失うものがあることを恐れていたら愛し合うことは出来ないわね?!」
「そう、愛は求めるだけでは成就しない、与えることで許すことで成就すると思うんだ。」
私達はよく夫婦喧嘩をした。いや喧嘩と言うよりはディベートと言った方が正しいだろう。
「人に見せられない所を見せなければ夫婦関係は成立しないだろう、例えば裸にならなければ本当に愛し合うことは出来ないと思うよ。」
「そうね、他の誰にも見せられない、親にも言えないような所を見せ、許し合うから愛は成り立つのね。」
私達の会話はストレートだった。
そして出した二人の結論は。いい所も悪い所も、嫌いなものも好きなものも、汚い面もきれいな面も、恩讐を超え因縁を超え、否悪い所こそ、嫌いな所こそ、汚い所こそ直視しし、理解し、許すが故に愛し合えるのである。顧みること35年、私達はまさにこれらを如実に実践してきたしそれ故に私達の築いてきた夫婦愛は、愛の究極の形であると、二人ともが信じて疑わない。
日々色々と話し合った中で素敵な人生、ユニークな夫婦生活、幸せな家庭生活を送ってこれたことをお互いが確認出来た。ああすればよかったとかこうするべきだった、とかの悔いは一切なかった。素晴らしい人生を共に歩んで来たと言う自負がお互いにあった。この期に及んで私は自分達を自画自賛するのに一遍の躊躇をすることもなかったし誇りにさえ思った。二人は何人も侵し得ない世界に完全に没入することが出来たのである。
「あなたは世界一の夫。」
「君も世界一の女房だよ。」
「だったら私達、世界一のカップルじゃないの。」
私達が今迄住んできた世界は小さなものだったかも知れない。でもその中で見渡す限り自分達がトップクラスの素晴らしい夫婦生活を営んで来れたことは幸運と言う他ない。お互いにピッタシの連れ合いに巡り合うことが出来たのである。
「君のお陰で今日の僕がある。君なくしてはここまで来れなかった。ただただ感謝の気持ち一杯だよ。ありがとう。」
「私も全く同じ気持ちよ。感謝深謝多謝。この世であなたに会うことが私の人生だったような気がするわ。幸せ一杯の人生だったわ。」
会話している間中、私達の手はズッと握り合ったままだった。
「一緒になった時二人で描いた夢も実現出来た。牧場は私の桃源郷だわ。」
「今迄二人で苦労して咲かせた大きな花は、僕達の自慢だね。」
この世に、結婚したときに描いた夢を実現出来る夫婦がどれだけいるだろうか?!
「お互い年取ったら私があなたの面倒を見てあげると言ってきたのに。。。。元気になれなくて
約束が守れなくてゴメンネ!」
「 いや、もう君は十二分過ぎる程僕に尽くしてくれた。僕は世界一幸せな夫だったよ。」
この時、彼女はすでに己の死期の近ずきを悟っていたのかも知れない。
この35年、この一ヶ月程二人が寄り添い徹底的に話し合ったことはなかった。お互いの心は明鏡止水、彼女は病床にありやがて命の炎が燃え尽きんとする状況にあったにも拘わらず、私達にとってはかってない至福のひとときであった。