彼女はどんな気持ちで二ヶ月余振りに牧場のゲートをくぐったのであろうか?!ここは彼女と私のドリームランド、彼女にとってはこの世の桃源郷と言えるところであった。彼女が愛してきた見慣れた風景に感極まったことであろう。救急車から担架に担がれ降りてきた彼女は例の愛くるしい笑顔を浮かべ私達に投げキッスまで送ってよこした。余程嬉しかったのだろう。
病院で主治医と話し彼女を牧場に連れ帰ることを決定した時に、彼は「私達としては全ての手を尽くしました。後は運を天に任せるしかありません。もう彼女の言うことを何でも聞いてそのようにして上げなさい。奇跡が起こればまた彼女をここに連れてきて再治療を始めましょう。ハッピートレイルを祈ります。」 それが彼なりの最後の慰めと餞の言葉だったことは私は分かっていた。彼女にも全く同じことを主治医は伝えたのだが、彼女もそれが彼の精一杯の慰めと餞であることは分かっていた。私はそれ以前からも主治医と綿密に話し合って来たから、彼女の死期が迫ってきていることを予知し、再び息子を日本からそして彼女の残された唯一の妹を呼び寄せてあった。彼女の姪や従兄弟夫婦も合流し牧場は一気に賑やかになった。
病院から牧場まで1時間チョッとのドライブだったが流石に二ヶ月余も車に乗っていなかったので彼女も疲れたのであろう。その夜は興奮と疲労がミックスしてか暫くして彼女は眠りについた。勿論24時間体制でホスピスから派遣された看護婦とこちらで雇ったホームヘルパーが代わる代わる彼女をチェックし夜通しの看護介護を続けた。ホームヘルパーはかって女房の母親の最後を看取った彼女であり、私はわざわざ彼女をルイジアナから呼び寄せた。かって知ったる仲だったので女房は彼女がこちらへ来て世話をしてくれることをとても喜んだ。母親が逝く時に最高の看病介護をしてくれたので、女房は彼女の助けを借りればうまく彼岸に旅立てるのだろうと思ったのだろう。
リハビリセンターへ移ってから暫くはベッドを降りて椅子に座ったり、少しばかりの歩行練習をして私達を喜ばせたが長続きはしなかった。それ以後またズッとベッドに横たわった日々を送り食も急速に細って行った。息子は一生懸命で彼女の口に食べ物や飲み物を運び元気ずけたが、彼女も精一杯努力して息子を喜ばせようとした。しかしもうそれ以上食べられないと「ゴメンネ、こんなママを許して」と彼に懇願したから息子もそれ以上の無理強いは出来なかった。彼は最後まで希望を捨てることなく、母親の体力を回復させもう一度抗癌剤を打ち彼女の命を救いたい一心の行動であった。私は既に心の準備は出来ていたから、もう彼女とあまり時間を過ごす必要もなかった。その代わり、息子や妹や親族や親しい友達と出来るだけ多くの時間を彼女と過ごさせてやりたかった。彼女もそれを望んでいた。何故ならばもう十二分に私達は共に過ごし共に語り合ってきたからお互いに悔いは残っていなかった。
「ティファニーで朝食を」と言うオードリーヘップバーンの古いが有名な映画がある。貧しく暮らす彼女は将来ティファニーのような素敵な所に住みたいと夢見る。その為に彼女はクロワッサンを買ってしばしばテファニーの前に行ってそのパンを食べることが彼女の朝食であった。そんなようなストーリーと記憶している。
次の日の女房の朝は早かった。急に今朝はみんなして一緒に朝食を食べたいと言い出した。勿論私達に異存はなく、彼女をやっとこさ車椅子に乗せて食堂まで連れてきた。外がよく見える特等席に彼女を座らせた。皆に囲まれての朝食が始まったのだが彼女はまるで別人のようにあれもこれも食べ、よく喋り、冗談も言い、例の如く私を困らせるのを楽しむいつもの彼女に戻っていた。私は息子と顔を見合わせ、「どないなってんのや?!この分なら少しばかりの延命が期待できるんじゃないの?!」 私達はお互い話さなくとも相手が何を考えているか容易に分かった。
彼女にとってはこの牧場がティファニーであった。私と二人で描いた牧場を取得し、そこで住むことの夢を実現し、ここで朝食を取る事が彼女の長い間の夢であった。窓の外、手を取るような近くに小鳥達の獲付けの小鳥小屋がつるしてある。今朝はカージナルスの夫婦が飛んできて餌を食べ始めたのがよく見えた。
1時間ほどみんなと過ごした後上機嫌で少し疲れたから横になると言って寝室に向かった。その時に彼女に「君の最もお気に入りの揺り椅子に少し座るかい?」 と訪ねたが 「明日でいいわ。」 と言った。その揺り椅子は玄関のポーチにありそこに座ると牧場でモウさん達がのんびり草を食むた景色が一望出来た彼女がこの世で最も愛した場所であった。彼女は寝室へ行く途中でチラッと窓越しにその風景を垣間見て、満足そうに頷いた。しかしそれが彼女が見た最後の牧場の風景だった。あくる日は風が強く冷たく、外に出られるような天気ではなかったのである。
その次の日牧場での三日目も彼女の朝は早かった。私はこの街に住む多くの彼女の友達から牧場に帰ってきたら会いに行きたいから教えて、との要請を受けていた。だから多くの友達がひっきりなしに彼女を訪れ激励して帰っていった。「来週はクラブの会合があるから是非とも出てきて!」 「全快祝いがてらそのパーティをどんな風にやろう?」 「新しいレストランが出来たから、皆で食べに行こう」 「あなたが居ないから会議なんかも暗くってね、だから来て明るくして!」 こう言った様々な会話を彼女はとても楽しんだ。
夜になるとみんな入れ替わり立ち代り彼女の寝室を訪ね、ご機嫌伺いをした。彼女が急に「ハリーポッター」のビデオが見たいと言い出したのでテレビのチャンネルを変え皆で鑑賞し始めた。私はSFめいたものは興味がなかったので別室でインターネットのサーフィンを楽しんだ。そして時々彼女のチェックをしに寝室へ出向いた。その際、たまたま彼女とテレビの間に私が入ったので彼女が「 オイ、ぼんくら亭主、邪魔になるから早ようどかんかい!」 と勿論英語でまくし立てた。売り言葉に買い言葉、私は「だまらっしゃい、甘えん坊女房!」 とやり返した。彼女の目は笑っていた。私達はこんなやり取りを35年間も続けてきたから、それは二人だけに通ずる愛のメツセージの交換であった。私達は最後の最後までお互いを茶化しあいながらこのユニークな夫婦生活を営んできたのである。
思えばそれが女房と交わした最後の言葉であった。それは誠に私達にこの世での夫婦生活の幕引きをするに相応しくこれ以上の台詞のやり取りはないと思えた。息子は私達の特殊なやり方で夫婦の愛情を培ってきたことをおぼろげながら知っている。しかしそれ以外の他の人は私達夫婦のこのかくも強固な愛の絆がどうして形成されたのかは決して想像も出来ないことであろう。お互い完璧な人間ではなかったが、しかしお互いがこれ以上の伴侶はこの世で望むべくもない、という幸運と感謝と尊敬の気持ちを私達は今迄幾度となく確認し合ってきた。だから私達二人には共に築いて来た高邁な愛に対する後悔のかけらもなかったのである。