息子は今朝、人生の新たなリセットをして日本へ旅立った。例の人なつっこいスマイルで相変わらずの極楽トンボのクラゲ的パーフォマンスに変化なし、まずは一安心。でも空港で見送って、彼の姿が見えなくなった途端、「ああ、これでまた一人になったんかなあ?!」と、えもいわれぬ気持ちになったが、40年近く前この大陸に一歩を踏み出した時に比べたら遥かにましな気がする。
あの当時は徒手空拳、右も左も言葉も分からず、まして知人友人は皆無、正直心細かったのだが、今はお陰さまで物心両面まずまずのものを手に入れることが出来たので自分を取り巻く生活環境はあの当時とは雲泥の差である。しかし今回女房が彼岸に旅立ったことで、私はかって体験したことのない強烈な刹那さ、儚さ、やるせなさを感じたのである。彼女は私の人生の中で最愛のそして最も大きな存在であったが故にである。
でも彼女の他界後、息子と二人で過ごしたほぼ一ヶ月間は私に前向きに生きて行く為の大きなエネルギーを与えてくれたように思う。二人で母を女房を偲びながら色々な話をした。明け方東の空が白ばむまで論議したこともあった。そんなプロセスの中で私達が出した結論は「ママとは永久の別れをしたんじゃない、ママは私達の心の中にこれからも生き続けていくから寂しくなんかない、空を見上げればいつもそこにはあの愛くるしい微笑をしたママがいるから大丈夫。」
これを機に息子も私も少しくスピリチュアルになりつつあるが、人知を超えたものに対して畏敬の念を持つことは大事なことだと思うようになった。これからは天国のママに褒められるような生き方をしていこう、と二人で話し合ったのである。
またこんな話もした。出来ることなら私はママと一緒に逝きたかった。この世でもあの世でも二人三脚のロープを外したくなかったが、ママは私を残して先に逝ってしまった。しかし彼女が私を残したのには確固たる理由があってのことだと思わざるを得ない。私は神に力を借りた彼女によって生かされているのかもしれない。長年付き合ってきたから彼女が私に何をしてもらいたいのかは痛い程分かるのである。
『一つ目は私の墓守をしながら、同時に独りになって大変だが私との思い出が一杯詰まった二人のドリームランドMJM牧場の維持管理を続けて行って欲しい。牧場を売ったりして人手に渡すことなどあるまじきこと。二つ目は私の根幹に流れるボランティアの精神を継承し、出来るだけ多くの人達にMJM牧場を訪ねてもらいここを彼らの憩いの場所とし、いつも賑やかに笑いが絶えない場所にして欲しい。三つ目はこれが一番大事なことかも知れないけど、最愛の一人息子が立派に成人し家庭を持って幸せに暮らす為の手助けをし、その行き先を見届けて欲しい。』
「これらがあなたの残された人生における仕事よ。だからそれらを成就しないうちはこちらへ来ちゃ駄目。またこれからは上から何でも見えるようになったから、ズルしちゃいけませんよ !」彼女がそんなことを言っているような気がする。
息子はと言えば。母を亡くした父をこれから独りだけにする訳にはいかない。一人息子故にその思いが人一倍強いのは痛い程分かる。しかし父を思うが故に己の将来を決して見誤るな、とは私が口を酸っぱくして繰り返し言ってきた言葉。そんなやり取りの中から辛い決断であったろうが彼なりの結論を出し人生のリセットをしてくれた。彼の判断が正しいことは私は勿論のこと天国にいるママも信じて疑わない。最後は私達の思いを素直に受け入れてくれた息子に感謝している。
息子は二つの祖国を有するも、日本の水が合っているし日本で仕事をし家庭を持って人生の大半を送ったほうが幸せになれる。それはわが子の特性や能力をこの世で一番知っている母親としての直感めいたものがあるが、実際息子は日本へ行くとまるで水を得た魚のごとく生き生きとするからママの言うことが正しいのかも知れない。これは彼女の遺志でもあるし、多分息子は時間がかかるかも知れないがいつの日か父の国で青い鳥を見つけてくれるだろう。
そして女房はこんなことも願っている。「パパとママが折角築いた日米の架け橋を壊すようなことはしないで欲しい。その為には日本に住むことでママの思いは継続されて行く。また息子が日本にいることでこれからパパも頻繁に日米間を行き来するようになるから、橋は強固になって行く。いつか生まれ育つ孫達が、もし日本ではなくてアメリカに住みたいと言い出したら天国に住む私としてはこんなに嬉しく痛快なことはないでしょう。」世代を超えて日米の架け橋を渡り合うことこそが女房の描いたこの家族の未来像に他ならないからである。