最愛の女房が彼岸に旅立ってからやがて3ヶ月になる。葬儀にまつわる一連のお礼状を送ったり残務整理をほぼ終えたところで、年末年始を33年振りに日本の故郷で過ごしてきた。3週間の滞在は長くもあり短くも感じたが、何故か2週間を過ぎたあたりから無性にテキサスの我が家に帰りたくなった。そこには女房と一緒に苦労して咲かせた花が咲いている。「あなた、もうそろそろ水をやらないと枯れてしまうわよ。」そんな女房の呟きが聞こえて、帰心矢の如し、となった。
『 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず 』 毎年決まって同じ季節に花は咲く。でもその花を賞でる人は同じではない。遠くへ逝ってしまったということもあるだろう。自分だって、身辺の状況を振り返ると色々あって、以前と同じということはない。変わっていくことだけがただ一つかわらない法則で、だから万物流転とはこのことを言うのか、とまた一つ学んだ。牧場に帰ってきて分かったことは、自然や周りの風景は何も変わっていなかった。そして毎日夕暮れ時になると、のどかに草を食むモウさん達の牧歌的な風景を眺めるのが好きだった女房が座ったお決まりの揺り椅子もそのままにあった。しかしそこには、もう彼女の姿はなかった。
いやそれは物理的にいなかったということだけで、彼女はしっかりと私の心の中に住んでいる。これからは彼女の為に私がその揺り椅子に座ってやろうと思っている。
12月25日、クリスマスの日が彼女の誕生日である。その日は毎年彼女が喜びそうなプレゼントをあげてケーキで祝ってやった。だから昨年の暮れは意図的にクリスマスの日にフライトを取り、彼女を好きな日本へ連れていった。私は手提げカバンの中に小さくてしゃれたオルゴールの箱を秘かに持っていったが、その中には彼女の髪と爪が入っていた。「私が死んだら私の身体の一部を大好きな日本の、あなたの故郷の土に埋めて下さい。」 それは散骨の発想からきたのかも知れないが、彼女の遺言でもある。そのような小箱が後二つありそれらもいずれ彼女が願った場所に埋めに行かねばならない。
彼女は千の風のような女性である。彼女の遺体はこの近くの墓地に埋葬したが、とてもそこでじっとしているような人ではない。今日も朝早くからやってきて、「あなた、いつまで寝てるの?モウさん達が腹がへったから干草をくれ、と言ってるから早く起きなさい!」 だって。
新しい生活が始まった。寂しくなったでしょう、とみんな言う。しかし私の中では寂しさは10%、後の90%はどうしようもないやるせなさである。これからどうして心の中にぽっかり空いたその穴を埋めていけばいいのか?!手記を書くことによって癒されたという人も数多くいるようである。そうした喪失感や孤独にきちんと向き合い、それを文字の形に整理することである種の納得感を得るという効果は確かに大きいのかも知れない。
やはり、徒れなるままに書こう。書くことで自分を癒すことが出来れば大いに結構。私の小さな書斎からは、牧場の景色がよく見える。毎日、よく女房が訪ねてきて椅子に座って小一時間喋って行く。ここは私と女房の面会所であったが、これからはここが彼女との心の会話をするところとなるだろう。ここで、私は女房が生きていると同じように語り合うことで、毎日楽しく暮らせるような気がしてきたのである。