「妻を娶らば才長けて見目麗しく情けあり」学生時代よくこの「人を恋うる歌」を酔いにまかせて高歌放吟した。そんな女性がいるんかいな、と夢にまで見たことがあった。しかしそんな夢がまさゆめになったのだから私の人生は時に幸運の女神が微笑んでくれた。
およそ40年前に祖国に別れを告げこの大陸に一人やってきた。若い頃からのロマンであったカウボーイになりはしたが、当時の生活はどん底であった。映画で見たカウボーイは格好良かったが、現実はそんなに甘いものではなく牧場主かプロのロデオカウボーイにならない限り将来への展望は開けなかったのである。しかし、そんな時に後に私の人生の最愛最強のパートナーとなる亡き女房に遭遇したのである。彼女はまさに「人を恋うる歌」の歌詞そのものの女性であったのだが、何故か人生の底辺を流浪するこの風変わりな日本人カウボーイに、彼女の全人生を賭けついて来てくれた。
私は演歌の「夫婦春秋」が好きでよく口ずさむ。
(1)ついて来いとは言わぬのに、黙って後からついて来た。俺が二十でお前が十九、提げた手鍋のその中にゃ明日の飯さえなかったなァ、お前。
(2)愚痴も涙もこぼさずに、貧乏おはこと笑ってた。そんな強気のお前が一度、やっと俺らに陽がさしたあの日涙をこぼしたなァ、お前。
(3)九尺二間が振り出しで、胸つき八丁の道ばかり。それが夫婦と軽くは言うが、俺とお前で苦労した花は大事に咲かそうなァ、お前。
私達の夫婦生活はまさにこの歌詞そのものであった。一緒になった時二人で描き誓った夢の実現も出来た。私達の大事な花というのはこのテキサスの片田舎に構えた小さな牧場である。一日が終わる夕暮れ時、いつも二人でテラスにある揺り椅子に腰掛け、モウさん達がのんびり草を食む平和で牧歌的な風景を楽しむことを日課としていた。彼女が最も愛した光景であっる。そんな彼女はもうこの世にはいない。しかし彼女は私の心の中で悠々と生きている。だから私はこれからも毎日彼女の為に夕暮れ時にこの同じ揺り椅子に座ろうと思っている。
私は女房を讃えることに躊躇しない。それは自己満足の域を出ないが、第三者から女房の賛辞を聞くのは別問題である。彼女が逝ってから暫く経って次のような賛辞が、私達が属している日本人会の会報に載ったのを見つけた。天国の女房もこんなに褒められたらこそばゆい思いをしているかも知れない。でも、私の妻を娶らばの正夢は正しかったことを証明してくれて、その日一日気分の高揚を制御し切れなかった。私には過ぎた女房であった彼女こそが私の心の拠り所であり、残りの人生を生きて行く為の心の栄養素である。
**** お知らせ ****
去る11月15日、グリーン会々員のジェーン大谷さんがかねてからご闘病の癌の為、ご逝去されました。享年67歳でした。
ジェーンさんはいつも笑顔を絶やさない奉仕精神溢れる素晴らしい女性でした。そんジェーンさんらしくご葬儀は素晴らしい秋晴れの中、多くの参列者に見守られてのものでした。優しかったジェーンさんに感謝とお別れを告げたいと、我がグリーン会々員も沢山駆けつけました。
そんな私達に大谷さんは御礼のお手紙を下さり、その内容の素晴らしさに涙を新たにいたしました。特に、67歳を若すぎると言う人がいるが大切なのは長さではなく充実した人生か否かであり、ジェーンさんはまさに素晴らしく充実した人生を歩まれた事、また最後2ヶ月の病院生活で寝食を共にし、心ゆくまで出逢いから二人で歩んできた人生を回想し語り、そして今まで二人で享受した幸せを確認出来た事、「千の風になって」の歌詞のように、尚一層ジェーンさんを身近に感じておられる事、などはジェーンさんの素晴らしさのみならず、理想の夫婦愛を教えて下さいました。
ご葬儀に向けて新聞に掲載された内容から紹介させていただきますと、ジェーンさんは1942年のクリスマス、12月25日にジャズで有名なニューオーリンズにてご誕生。南フロリダ大のリベラルアーツ学士としてご卒業。ドイツとスイスにも住まわれ5ヶ国語を話される才媛で、1976年大谷さんとご結婚されるまでは高校でフランス語を教えておられました。大谷さんの会社人生からのリタイアに伴い、長年住まわれたニューヨーク近辺から2005年テキサスに引越し。お二人の出逢いのきっかけとなったコロラドでの夢を実現されテキサスの片田舎に牧場を購入、終の棲家とされました。病に伏せるまで彼女が住むコミュニティで7つものボランティアなどでご活躍され、同時にご子息の世界一のお母様でもあられました。まさに「溢れる程の笑顔で周りの人達に楽しさや喜びを与えることが彼女の一生」と夫に言わしめる輝く人生の道のりでした。
ここに紙面を借りまして、グリーン会一同より心からのご冥福をお祈り致します。
**** 会長挨拶 ****
またまた師走が巡ってまいりましたが、今年は皆様にとってどう言う年でしたか?
残念なことにかねてから闘病中であった会員のジェーン大谷さんが先日他界されました。最後の時は自宅で迎えたいと言うご本人の強い意志もあり亡くなられる4日前に自宅に戻られご子息や親族友人達と心ゆくまで語り合ったと伺いました。病院で何本ものチューブで繋がれながら息を引き取るより遥かに素晴らしい最後であったことと思います。
ジェーンさんに対しては笑顔の絶えない包容力のある方、と言う印象を多くの会員が共有しているのではないでしょうか。葬儀の冒頭で本人は湿っぽいことが嫌いだったので明るくおおらかに送って欲しい、と言う喪主の大谷さんの要望がありました。しかし葬儀に参列された方々は棺の前に飾られたジェーンさんの若い頃の屈託のない笑顔を見ては涙し、大谷さんのユーモア溢れる別れのスピーチを聞いては、氏の心情を思いハンカチを目に当てている方が多くいたようです。
衷心よりジェーンさんのご冥福をお祈り申し上げます。
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かかる如き賛辞をいただいたことは私にとってこれ以上光栄なことはなく、と同時に私にはまこと過ぎた女房であった彼女こそが私の心の拠り所であり、残りの人生を生きて行く為の心の栄養素である、との認識を新たにした次第である。