これは大変なことになっちゃったなあ、彼女がこんな酔っ払いはただの友達だから責任は持てません、といったらそれで一巻の終わり。暫くしてポリさんが酔っ払いのカウボーイを連れられて現れたのでもう彼女もびっくり。そして
「お嬢さん、あなたはこのカウボーイを知っていますか?」
「はい、でも彼はどうしたんですか?」
「飲酒運転をしたから、誰かが責任を持って引き受けなければ暫くブタ箱に入らねばなりません。」
私は祈るような気持ちで彼女の答えを待った。彼女は若干戸惑いは見せたもののはっきりとした口調で
「私は彼の親しい友達ですから身元引き受け人になります。全責任を負いますから、彼をブタ箱へ入れないで下さい。」
今では想像も出来ない程の古き良き時代、そして山奥のド田舎のポリさんだったからこんな調子で命拾いをしたのである。彼女にはしこたま絞られた。説教が始まった時は三角だったが段々丸くなり最後は細くなった眼が笑っていた。それは、人間少々規格外の方が面白いわと言っているようだった。でも悔しいけれどこれで一生じゃじゃ馬に借りが出来たことは間違いなかった。
私の心は決まった。それから数日後彼女をキャンプに誘った。歌でも有名なコロラドの月が美しい夜だった。「長い人生、これから一緒に夢を見ようさ !」それがプロポーズの言葉だった。名もなく貧しく美しくとは聞こえはいいが、そしてこれから先どうなるかも分からないジャパニーズカウボーイに彼女もその一生を賭けたのである。結婚は両性の合意に基ずいて行われるものであり、何人もこれを侵すべからず。というのは建前であって実際は障害の連続であった。まず婚約の報告を両方の親にしたところ、どちらも大反対。勿論親戚縁者友達に至るまで誰一人賛同してくれるものはいなかった。
私の父は、「校長の息子が外人を嫁取った、教育者でありながら息子の躾さえ出来ないのかと言われる、この馬鹿タレが親不孝者めが!」 母は、「こんな聞き分けのない子を産んだ覚えはない、また大嘘をついたのか」とオロオロ電話口で泣くばかり。父母双方から罵倒され、大袈裟ではあるがご先祖様に申し訳がない、と二人して仏前で手を合わせている姿が容易に想像出来た。
彼女の父は厳しい軍人でかって太平洋戦争で日本本土迄爆撃に来た鬼畜米英の手先だった。だから「敵国のわけの分からん野郎に大事な娘をやれるか!」と喚いた。母親は 「ワスプの由緒ある家系に何処の馬の骨とも分からぬ血を入れることはあってはならぬこと、一家の不名誉である」ときた。俺はあんたと寝るわけじゃない、寝たいのはあんたの娘なんだからほっといてくれ、と私は彼らが住んでいるルイジアナに向かってわめきちらした。そしてその他諸々の声は、結婚は皆に祝福されてするもの、長持ちしないことは最初から分かっているから諦めろ、止めろ、であった。
こうなったらもう開き直るしかない。時を同じくして私も女房も夫々の両親に絶縁状を叩きつけたのである。あの特攻隊で散って行った若者達の遺訓に似て、ご両親様 先立つ不幸をお許し下さい、とまでは言わなかったけれど、長い間育てていただいてありがとうございました、でももう私はいないと諦めて下さい、と。後日談になるが、彼女の両親も幾度か教会へ足を運び神のご加護を祈ったそうである。
誰からも祝福してもらえない二人はそれから僅か数週間でラスベガスの名もない小さなチャペルの前に立ったのである。ハネムーンも兼ねて一週間の予定で行ったのだが、たった二日で帰らざるを得なかった。二人ともこれからの人生に乾杯、明日は明日の風が吹くわ、とシャンペンをしこたま飲んだ。ほろ酔い気分になってハイタッチ、そしてお決りのコースである博打場へ勇んで乗り込んだが、運命の女神は冷酷であった。最後は有り金全部はたいてこれから始まる人生に賭けてみたが結果無惨。
貯えなどある筈がない。これを本当にゼロからの出発というのであろう。もうこれ以上落ちることはない、後は少しずつ上に上っていけばよいではないか、お互いの生活信条は恐ろしい程似ていた。かかる陽転思考のお陰かこれから暫く続く赤貧の生活の中でさえ二人から笑顔が失われることはなかった。興味ある結婚生活がいよいよここから始まるのである。