昨年11月15日、女房が他界、葬儀等を終えた後の残務整理やら生前彼女がお世話になった方達をあちらこちらを訪問して、御礼やら色々な報告等で悩殺されているうちにあっという間の2ヶ月間が過ぎてしまった。悲しさ、寂しさ、空し等連れ合いを亡くした後の典型的なシンドロームを経験する暇もなかったくらいである。勿論その中での3週間ほどの日本滞在は大きなイベントであった。日々忙しくすることで、悲嘆にくれる時間を与えないと言うのも立ち直りを早くする一つの方法である、との知恵もお一人様の先輩から教わった。
年明けの1月半ば過ぎテキサスの牧場に帰ってきたわけだが、今度はそれこそ一人ぼっちになってしまった。女房の遺品整理などする気は全起こらず、新聞を読んだりテレビを見たりすることも億劫になってしまったから、殆どの雑事を済ますと後はやることが無くなってしまった。いややらねばならないことは結構あるのだが、昨年9月の女房が入院して以来ズッと今日まで一時も休む暇がなかったのでここらで取り敢えずは一服し、これからのことをゆっくり考えることにした。
33年振りの年末年始を日本で過ごして来た訳だが、その間敬愛する母と十分話し合うことが出来、とても楽しい3週間だった。女房を亡くした喪失感を癒すには最高の所であったのは間違いない。母の色々な示唆が立ち直りに大いに役立っている。彼女は10年前、私の兄である長男を亡くし逆を見た。6年前に60余年一緒だった連れ合い、私の父と死別した。そして今又最愛の嫁、それは私の妻を失い、彼女の心中如何ばかりかと察すると私の胸は張り裂けんばかりであった。
母は「息子よ、お前も最愛の連れ合いを亡くして辛かろう、悲しかろう、寂しかろう。しかしお前だけがこんな厳しい仕打ちを受けるとは決して思ってはならぬ。早かれ遅かれこれらは何人も皆等しく通る道ゆえ、あるがままを受け入れて前へ進んで行かなきゃ駄目だよ。私もそうして今迄の試練を乗り切ってきた。お前は私の息子だからしっかり者、だから心して立ち向かいなさい。」
若い頃はよく反発した母の言葉だが歳を重ねる毎に彼女のそれが素直に聞けるようになった。自分が歳を取ったと言うことか、あるいは「親の教えは茄子の花よ、千に一つの無駄もない。」と言うことだろう。
ネットをサーフしていたらたまたま「配偶者を亡くしたものの会」に出くわした。一人だけど独りでない生き方をする為に、と言う会の趣旨が気に入ったので早速入会をすることにした。どんなような活動をしているのかと言うことと、連れ合いを亡くした人達はどのようにして立ち直っていくかの実例も学びたかった。もう立ち上げてから10年余の会だが会員は常時300名ちょっと、そんなぐらいがこじんまりまとまっていていいサイズだ。大き過ぎたり多過ぎたりすると、いつの間にやらフォーカスを見失うのが典型的であるから、こう言ったネットでの集まりは難しい。しかし最初から本名で登録、会員同士も本名を名乗り合う、と言うルールがあるので小さいけれど結構しっかりした組織だなと感じた。
特に配偶者を亡くしたものの集まりと言うのはともすれば傷の舐め合いと言う要素が強くなるが、勿論舐め合い慰め合い同情し合いはあるものの、それだけではない。会の活動は大きく3つに分かれていていずれも活発である。一つ目は年5回の会報の発行、これは多くの会員が投稿することによって成り立っている小雑誌だから、心打たれるものが多く勉強になる。二つ目はメールの交換である。公開メールと私信とから成っていて、使い勝手がとてもよく会員同士が色々な情報交換やら助け合いを行っている。そして三つ目はイベントである。主に関東方面中心ではあるが、趣味の会とかウォーキング、カラオケ、小旅行、名所旧跡めぐり、観劇会、飲み会。。。。。ありとあらゆる催しが企画され気軽に参加出来るから友人も沢山出来る。
会員は千差万別、年齢層は50代から80代までと広い。男女の混合比率もまずまず。つい先月入会した人や7年前に入った人、色々である。連れ合いを亡くした時期もまちまち、中には15年も前に亡くしたと言う人もいる。パソコンや携帯を使っての交信交流だから、ボケ老人などいず皆一様にしっかりしている。好奇心旺盛で学歴や教養度も結構高いような感じもする。
そんなこんなで私はこの会は非常にユニークで成功していると思うから、創始者は大したものだと敬服している。聞くところによると、彼は80歳、10余年前に妻に先立たれたのを機にこの会を立ち上げ。しかし近年癌の宣告を受けるも、相変わらず現役で頑張っている。末期症状にて既に医師から言われた余命は過ぎているも、強烈な使命感から会の繁栄の為に日々寄与する姿は壮絶な生き様という他無い。こう言った如何なる逆境や試練にも負けず常に前向きに生きんとする凄い人がいるということを知っただけでもこの会に入った価値があると思う。
暫く入会していてやがて退会して行く人もいる。この会の活動や励ましが役立って立ち直ったからもう必要ないということで去って行くケースもあるのだろう。私も先行きどうなるかは分からないが暫く会員を続けて行こうと思っている。お陰で数人の何でも話せるメル友も出来た。そして入会して良かったなという点は結構あるが中でも、ああ連れ合いを亡くしその悲しみや寂しさを乗り越えようとしている人達が自分の他にもこんなに沢山いるのか、というのが分かったことである。一人でいると、「何故自分だけがこんな惨めな思いをしなければならないんだ!どうして連れ合いと共に手を携えて老いてゆくことが出来なかったんだ!!」 自分と同じような境遇にいる人達が山程いることを知って、こんな愚痴めいた気持ちは一気に吹き飛んだ。
私は何事につけても日米比較をしてきた。そのことで価値観や人生観の多様性を会得することが出来、我が人生大いに役立っている。そう言うことでこちらの「配偶者を亡くしたものの会」にも顔を出して見た。基本的には教会のグループやホスピスのアフターケアのグループがあり彼らが主催しているのが一般的である。私はその両方に一度だけ参加したことがあるが、どうも私の思っていた集まりと違っていてそれ以上出席はしていない。ご他聞に漏れずこう言った集まりは宗教的な色彩が強く、神や天国や聖書が頻繁に出てくるからそのような知識に疎い自分は、どう答えていいか分からないことが多い。彼らが正しいとか間違ったアプローチをしているとかの問題ではなく、自分には合わない、助けにならない、だから出席しても意味がないと言うことである。
参加している一人ひとりに体験談、経験談を聞いて廻る。それはいいのだが話しているうちにその本人が泣き出す、そして周囲の人もそれに連れてもらい泣きをする。そうすることで同情や慰めの意を表し、みんなが付いているから大丈夫、一緒になってこの試練を乗り切っていきましょう、と言うジェスチャーなのであろう。それはそれで会の目的としてはいいのかも知れないが、どうも自分の性には全然会わなかった。連れ合いを亡くして3年、7年、10年、いや中には15年経っても昔を思い出し涙を流しているのである。そう言った人達を見て私は、これから先ずっとそんな思いを引きずって行く自分を想像しゾッとした。いやたまたまの涙はいいかも知れないが、連れ合いの思い出を手繰る度に泣いているのでは、かなわんな、と言うのが正直な私の気持ちであった。
泣いたところで女房は帰って来ない。また女房はあの天空で決して泣いてなんかいない。いや、向こうで大いに先に逝った家族や多くの友達と楽しくやっているんだろう。私だけがここでメソメソしているのは滑稽に思えてならないから、もうあまり涙は見たくないし流したくないのである。