女房は今迄多くの人に愛され多くの人を愛し、多くの人に支えられ多くの人を支えてきた。そのことは私達が5年前このテキサスの片田舎へ引っ越してきてからも変わらなかった。彼女のあの持ち前の陽気さと愛くるしい笑顔は多くの人を魅了して止まなかったし、それゆえにほんのわずかの間ではあったが街の人気者になることは難しいことではなかった。
あの当時女房は恐らく彼女の人生の中で最も輝いていたと思う。生来の人好きと言う性格から、小さな街ながら6つも7つもの団体や会に参加していた。その中にかなり大きな組織の「ガーデンクラブ」と言うのがあるが、彼女がもっとも力を入れていた団体の一つであった。会員たちは入院中の彼女を足繁く見舞ってくれたり葬儀にも多くが参列してくれたので、私は女房のそのクラブでの存在はある程度理解をしていた。
年が明けて暫くしてから会の方から私に連絡が入った。「本日当会はあなたの亡き奥様の為に今春追悼樹を植える事を全会一致で決定しました。、彼女の会における功績を讃えその寄与に感謝しそして彼女の冥福を祈るために植樹することにしました。」 私はその素晴らしい知らせに御礼を述べると共に、改めて女房のこの街での存在が如何に大きかったかのかを再認識させられた。家族や親族や友達が揃って追悼樹を植える事は最近少しばかり流行ってきているとは言え、一つの会が個人の為にそのようなことをすることは稀なこと、大変なる名誉なことと私は早速女房に報告し二人で喜んだ次第である。
場所は彼女も一時お世話になったこの街の病院の庭。彼女の樹が患者達の心に安らぎを与え、彼らの命を守り、一日も早く退院できることを祈る意味で会が病院幹部にお願いして実現することになった。樹の種類はクレープマートルと言うことであった。(掲載の二枚の写真は植樹式と成木になった暁にはこのような花が咲くとの参考)これはテキサスではあちらこちらに咲いているもっとも親しまれているもので百日紅科に属し、テキサスの灼熱の天候にも耐え毎年夏場非常に長く咲く花である。美しいけれども優しくタフ、全く女房そのもので私はそのことも会に伝え感謝した。
植樹祭には多くの会員達が駆けつけてくれ彼女を偲んでくれた。私も身に余る光栄との挨拶をし、また生前女房が会に大変お世話になったことの御礼の意味もあり、心ばかりの寄進をし会の発展に役立てて欲しいとそれも手渡した。これからは病院の庭師がいつも水や肥えをやってくれるだろうから彼女の樹は何ら心配することなく成長していくことだろう。私も時々はここを訪れこの樹が生長していくのを眺める楽しみが出来たのでとても喜ばしいことである。
牧場は私達の終の棲家、ここは私達の青山、女房は既に近所の墓地で眠っている。そして今回の彼女の為の植樹。 ここが私達のこの世の旅路の果てであり来世への入り口となる場所でもある。
しかし月日が経つに連れて私には気になっている大きなことが一つあった。それは身も心ももうとっくの昔にこの大陸に移住してきているのに私はいまだアメリカ人ではないのである。女房は今迄このことでわたしにこうせよああせよと言ったことは一切ない。しかし私が彼女の傍で眠る時には彼女はこのアメリカの大地でアメリカ人になった私と二人して眠ることを願っていると思う。
私の現在のアメリカでのステータス(資格)は永住権保持者である。相変わらず日本人でありアメリカ人ではない。日本とアメリカではそれぞれ国情や過去の歴史がことなるのでこのステータスの問題は微妙かつ複雑である。では日常生活をする上で何か不便があるかと言うと、大きくは選挙権がないことぐらいで後は市民権を持っている連中となんら変わりはない。では何故アメリカの市民権を取らないかと言うことを言われることがある。だから私はその答えも用意してきた。
世界的な潮流として多くの先進諸外国はアメリカも含め二重国籍を認めている。しかし日本は数少ない単一国籍主義で先進国では唯一閉鎖的な国籍法を適用している。そして日本では一旦国籍を喪失するとその再取得はまず難しい。基本的に二重国籍の人間が日本に住めば法律上どちらか一方の国籍を選択しなければならないのだが、あくまで自己申告制なので日本でも多くの人達が深く静かに二重国籍を持って生活していると推測される。(ちなみにグローバルな時代になった現代では世の中の流れにそぐわなくなったので日本でも二重国籍是認の動きがあるとも聞く。)私はアメリカに永住しているわけだし例え市民権を取ったとしても日本国籍を捨てる気持ちなど毛頭ない。ここではそれが合法でもあるからである。
私はこの国にもう十分長く住んでいるので欲すればいつでも市民権は取得出来る状態にある。しかし私が今尚アメリカの市民権を取らない理由は他にあるのである。それは祖国と言うか国家への忠誠、いやそれよりも大きな理由は私をこの世に迎えてくれた両親、とりわけやがて90歳にもならんとしているも今尚かくしゃくたる母親への忠誠心である。彼女は私を日本人として産んでくれた。だから私は彼女の目の黒いうちは日本人を貫き通したい。そして将来的にアメリカの国籍を得るかどうかは彼女があの世へ逝ってから考えることにしようと思っている。
でも多分私はゆくゆくは市民権を取ってアメリカ人にもなるだろうと想像している。そうしたら二つの祖国を持つことになるがそれはそれでいいと思っている。二つの異なったパスポートを持つと言うことは二つの国に同時に忠誠を誓うと言うことになるのだが、この際そんな難しいことは考えないようにしよう。かって太平洋戦争があった時代、二重国籍を持ってこの国に住んでいた日系の若者達は大いに悩み苦しみ、そして最終的にはどちらかの国籍を選択するよう迫られた。二つの国が敵と味方に別れて戦争をしたからそれは仕方がなかったことであろう。あの当時多くの日系の二世三世達はアメリカ国籍を選択し国家への忠誠心を吐露した。最も有名な例はあの442部隊である。しかし同時にその若者達はもう一つの祖国、父母の国日本のことも思い、442部隊をアメリカ陸軍史上もっとも勇敢な部隊にならしめたのである。それまで日本人はジャップと呼ばれ蔑まれてきたが、あのフランスでテキサス大隊を442部隊が救出したのを気にアメリカに於ける日本人の地位が一気に好転したのである。
私がこの世にいる間に再びアメリカと日本が戦争をするようなことはないだろう。だから私はどちらかの国籍を選べと言う踏み絵を踏まされることはあるまい。父母の国日本と女房の国アメリカ、私はこの二つの祖国に忠誠を誓うのになんらのためらいもないし、いやそのことをむしろ大変に誇りに思っているのである。
追悼樹の話題から大分飛躍したが、突き詰める所『大地に根を張る』と言う意味からすればどちらも関連性があり、特に国籍問題は私の中でいずれは解決しなければならない命題である。