女房の生前、こんな事があった。癌が再発してから暫く経って、彼女は私には言わなかったがはっきりとやがて来る旅立ちへの準備を始めたようだった。
彼女の両親は既にこの世になく、姉妹が二人だけ残された。その妹はフロリダに住んでいるのだが結構裕福で、パリから電車で2時間余の片田舎に友達とパートナーとなって別荘も所有していた。妹からの誘いもあったことも手伝って彼女は急にそこへ行きたいと言い出したので早速私はすべてを手配した。フランスは彼女の最もお気に入りの外国であった。と言うのも彼女の大学の専攻はフランス語であったし、若き日々ドイツやスイスやイタリーに住んでいたので、パリへはよく訪れたと言っていた。従って彼女はフランスへの旅をとても楽しみにしていたが不運にも、アイスランドの火山が爆発し火山灰が全ヨーロッパを覆う状況となった。私達はそれでも行こうと決めていたが、ヨーロッパへのほとんどのフライトが前日になってキャンセルされてしまった。私はどうしても連れて行ってやりたかったが、それは残念ながら叶わなかった。彼女の意気消沈振りは傍から見ても本当に痛々しいものであった。
非情なるかな私達のフランスへの旅は幻に終わったのである。今まで幾度となく繰り返してきた言葉だが、『やったことを悔いず、やらなかったことを悔いる』と言うのが概ね私の生活信条と言うか若い頃からの一貫した人生観であった。火山爆発は自分ではコントロール出来ぬ事ゆえ、諦めるしかなかったのである。しかし何故かやらなかったことを悔いる思いがして、いつかこの心の中でモヤモヤとしたもの、いや燻っているものに決着をつけねばと思ってきた。いやそれ以上に、望みを達せぬまま天空に旅立ってしまった彼女の為にも、との思いの方が強かった。
天候がよくなる春先に彼女の妹夫婦が別荘に行き1ヶ月程滞在するからその間に来ないかと誘われた。私は渡りに船と思い、彼女の写真を胸にフランスへ向かったのである。10日間程の滞在であったが、私はフランスの片田舎の旅を堪能した。彼女の妹夫婦、そして彼女の父親の従兄妹の4人での弥次喜多道中であったが、毎日昼も夜もワイン攻め。だからなのか常に陶酔している感じがしたから面白く楽しかったのかも知れない。私は彼女が生前ここだけは訪れたいと言う2箇所を妹夫婦に頼み連れて行ってもらった。
最初の訪問地はかっての有名な戦争映画「史上最大の作戦」の舞台となったノルマンディ海岸。
それはフランスへ来るアメリカ人が最も訪れたい場所の一つであるようだ。彼らにとっては「自由」を守るため、獲得する為の誇り高き闘いであった。私も半世紀前の高校時代にその映画を見てあの戦争の迫力に圧倒されたことを覚えている。そしてあの勢いのいいテーマソングは、戦さを前にした兵士を鼓舞するが如きの旋律で、今尚私のもっとも好きなマーチの一つである。
ノルマンディ上陸作戦に関わる博物館、かの有名なオマハビーチやアメリカ軍戦没者墓地などを訪ねたが、平和な今の時代に生き、ましてアメリカ人でもない私にとっては歴史上の一出来事に過ぎないのかも知れない。でもアメリカ人で、しかも病気で名誉除隊はしたものの例え短期間でも陸軍諜報部に属していた彼女が、かの地に立っていたならば、きっと私とは全く異なる感慨に耽ったであろうことを想像するに難くない。
私は胸ポケットから彼女の写真を取り出し、あちらこちらの風景を見せてやった。そして戦没者墓地に来て整然と並んだ十字架の前に多くの小さな星条旗が飾られているのを見た。世が世であるならば、そして彼女がこのノルマンディ上陸作戦に参加していたならば、きっと勇敢に闘い、名誉の戦死をしたであろう。私の女房は美しさを兼ね備えた勇気ある戦士でもありえたのである。
次の訪問地はフランスの世界遺産で有名なモンサンミッシェル。ノルマンディ海岸から2時間くらいのドライブだったろうか、幻想的とも言える小島モンサンミッシェルの対岸に到着した。このモンサンミッシェルは干潮と満潮の差がヨーロッパで最大、その差は深さ15メートルにも及ぶとされ、島に鎮座する建物とその歴史的価値から1979年にユネスコの世界遺産に指定された。
車で近づくと異様な建造物が突然視界に入ってくる感じで、奇妙なことに私の第一印象は
「あっ、天空の城ラピュタだ!」と言うものであった。大地であって大地でなく、海であって海でないような、その空間だけが異次元であるかのような錯覚を与える不思議な建物であった。それは修道院であり、フランスでは古くから最も有名なキリスト教の巡礼地であったのである。
車を駐車場に止め歩いて島に渡った。そして修道院への急な坂道を登って行く。勾配がもっともっときつくなると目の前にドンドン迫力のある修道院が迫ってくる。やがてその入口に到着。中には入り聖堂や礼拝堂を見学したが、13世紀のゴシック様式の「回廊」や「騎士の間」「貴賓室」などの美しい装飾と荘厳は流石と言う感じがした。
そして聖堂からテラスに出ると、周囲がパノラマで見渡せる絶好のスポットがあり、迫力のある景色をしばし堪能することが出来た。そしてそこはまさに天にも届くような高さであり、既に旅立ちへの選択をした彼女が是非訪れたかった場所の意味がその時初めて分かったような気がしたのである。私は再び胸ポケットから彼女の写真を取り出し「君との約束がやっと果たせたよ。ここは恰も天上界と地上界の中間くらいに位置するんだね。テキサスの牧場にいる時は、地上から空を見上げ
いつも君と話してきたんだけど、今は君がとても近くにいるような気がするよ。やはりここに来てよかった!」
彼女が望んだ二つの景勝地を訪ねることが出来、満足感で一杯だった。妹夫婦に大いなる感謝。それからは大きな仕事を終えた安堵感からか、毎日飲むワインがことの他美味しかった。ここは
有名なフランスのワインカントリーのど真ん中、だから美味しいワインが飲めるんだろう。でも私はそれ以上に彼女への供養が出来たことが嬉しかった。辞書を紐解くと「供養」とは、供に養う、即ちこの世とあの世の魂のふれあいを確認することとある。あの世あればこそこの世あり、この世あればこそあの世あり。あの世に旅立ちし彼女の魂の為に、この世での感謝とあの世での冥福を祈る、そして過去、現在、未来と続く命と魂の旅路を考える時に、本当の意味での供養が出来ると私は信じて疑わない。
シャルルドゴール空港で帰国便を待つ間に、私は奇妙な感覚に襲われた。彼女と過ごした35年、その間二人で訪ねた所は数限りなくあったが、旅の終わりはいつも二人一緒にその余韻を楽しんだ。そして次は何処へ行こうかとはしゃいだものである。そんな彼女ももう私の隣には座っていない。
たまらない喪失感が私を凌駕し始め、遣る瀬無さ、切なさ、儚さなどで私はもういてもたってもいられなくなった。あ~あ、やはり一人でここへ来るべきではなかったのか?!それから暫くはそんな葛藤が心の中を埋め尽くした。
牧場へ帰って少ししてから、私はある結論にたどり着いた。彼女が他界してから、彼女との約束のルイジアナへは行って来た。そして彼女の行きたがっていたフランスの旅も終えた。いずれも旅の終わりは大変辛く悲しいものであったから、私はもう彼女との想い出の地には二度と行かない、そして私達が行ったことのない地には一人では決して行かないことに決めた。
世界にはまだまだ行ったことのない美しいところ面白いところがあまたあることは知っている。彼女は生前、「いつか南太平洋のボラボラ島でのんびりしたいね、ケニヤのサファリで野生のライオンやキリンを見たいの、オーストラリアでカンガルーと遊びたいよ」そんなことをいつも言っていたから彼女の望みを叶えてやる為にそこへの一人旅もありか?と以前は考えたこともあったけどいやもうそんな未知なるところへも行く気は全然しなくなったのである。人によっては死ぬまでにあちらこちら旅をして楽しみたいと言う、しかし私は彼女と一緒でない旅がどうしよもなく無機質で楽しくも面白くもないことを嫌ほど知っているから、もう何処へも行きたくないのである。。